僕にも「老人力」がついてきた

昨年の終わり、上海から南寧に飛び、生徒が予約しておいてくれたホテルに着いた。ホテルの前には、この1年、塾を切り盛りしてくれた生徒の一人が待っていた。20歳代半ばの女性。その彼女が僕を見るなり「せんせーい」と叫んでいきなり抱きついてきた。ちょっとびっくりしたが、しっかりと受け止めた。数日後、南寧から梧州に向けて発つ日の朝、彼女はホテルの僕の部屋までわざわざ挨拶にきてくれて、やはり「せんせーい」と抱きついてきた。

こんな経験は最近、初めてではない。昨年の秋の終わり、以前ハルビンの大学で教えた学生が「ぜひご馳走させてほしい」と、埼玉県の僕の住む町まで訪ねてきてくれた。30歳代初めの女性で、大学にそのまま残って日本語の教師をしている。結婚して小学生になった子供もいるが、日本の某自治体で1年間、研修することになり、夫と子供を中国に残して日本で暮らしている。その彼女と駅頭の人混みで別れる時、やはり「せんせーい」と叫んで抱きついてきた。あとで「先生に恥ずかしい思いをさせませんでしたか」というメールが来たが、正直言ってほのぼのと嬉しかった。

なに、僕も若い女性に結構もてるんだなぞと、のろけるつもりは毛頭ない。僕がもし今より20歳ほど若くて50歳代だとする。なんと言うか、まだギラギラしたものがある。少しはスケベそうでもある。そんな僕なら彼女たちも決して抱きついてはこないのではないか。でも、今の僕なら安心して抱きつける。危害を受ける心配は全くない。

つまり、僕にも故赤瀬川原平氏の言う「老人力」なるものが身についてきたのである。老人力とはボケ、モーロク、物忘れ、あるいは耳が遠くなった、体力が落ちたなど後ろ向きの表現を「老人力がついてきた」と言い換えれば、積極性が出てくるのではないか、という赤瀬川氏の提言である。

老人力うんぬんは別として、僕が抱きつかれたのには、別の理由もありそうだ。つまり、中国の若者は一般に両親よりも祖父母に親しみを感じているみたい。この国では子供ができても両親はともに外で働き、子供の食事から小学校の送り迎えまで、世話は祖父母に任せてしまう場合が多い。勢い、子供が成人しても、親しみをより強く持つのは両親ではなく、自分を幼い頃から育ててくれた祖父母ということになりがちだ。祖母を亡くした生徒がまさにあられもなく嘆きながら「母親ならいつ死んでもいいのに・・・」と言うのを聞いたことがある。まあ、僕も彼女たちの祖父よりは若いだろうけど、その年代に近づいてきた。それも抱きつかれる背景にあるのかも知れない。

前回にも書いたように、梧州というところにしばらく住むことにしたのだが、住むのは僕一人でだと思っていたら、南寧から生徒が二人ついて来た。「しばらくご一緒でいいですか」と言う。あ、そう、一向に構わないよ、寝室は二つある。どちらも20歳代半ばの女性で、うち一人は、これまで塾を任せてきた二人のうちの一方だ。塾がなくなったので、次の仕事を見つけるまで、体が空いている。もう一人は新婚早々の女性、南寧に着いた時も空港まで出迎えてくれた。そしてさらに一人、梧州のアパートを探してくれた地元勤務の生徒、仕事が終われば僕の住まいにやってくる。一緒に食事する。賑やかなことになった。ほぼ1年ぶりに見る先生は、随分と老人力がついてきた。一人では放っておけないと思ったのだろう。新婚の生徒が家に帰った後は、代わって彼女が泊まっていくようになった。

アパートでは僕が1部屋を使い、生徒二人は残り1部屋の狭いベッドに一緒に寝ている。余談だけど、中国人の若者はこんな寝方をあまり気にしないみたいである。もちろん、一人で寝るのがいいのだろうけど、二人でもなんとかやっていく。以前、南寧で女性の生徒二人が一緒に寝ていたベッドに新たに女性一人が「しばらく三人で寝かせてほしい」と言ってきたことがあった。二人は快くOKした。エッ、そんなの無理ではないの? 僕が驚いたら、二人は「ベッドに横に寝れば、三人でも大丈夫です」。コロンブスの卵みたいだった。

閑話休題。こんな生徒たちと街中を歩いていると、わが老人力の充実を実感する。
例えば、道路を渡ろうとする。複数の生徒が一緒だと、半分は僕の左側に、半分は右側に、ごく自然にくっついてくれる。車から僕を守るためだ。生徒が一人だけだと、渡り始めは左側についている。右側通行の中国では、渡り始めは左側が危ない。道路の中ほどを過ぎると、生徒はさりげなく僕の右側に移っている。後半は右側が危ないからだ。アパートの6階まで階段を上がる時、僕の重いリュックを代わりに担いでくれる。いやあ、らくちん、らくちん。老人力のお陰である。

年末、中国に着いてすぐ風邪を引いた。生徒に医者に連れて行かれ、2時間も点滴をした。生徒が次々にいろんな薬を買ってきてくれる。漢方の煎じ薬を飲ませてくれる。お陰で熱は下がったが、1週間、2週間と過ぎても咳が止まらない。老人力のせいだろうが、生徒たちは「先生はお酒を飲みすぎるから治らないのですよ」と言う。なるほど、そうかも知れないが、酒量のほうにはなかなか老人力がついてこない。つまり、酒量が減らない。困ったものである。