薄味に慣れたい

先般、台北でしばらく過ごした際、郊外へ泊まりがけの小旅行でもしない限り、朝食と夕食は下宿の奥さんの手料理の厄介になっていた。彼女からは毎回のように「これ、台湾料理なんですよ」という説明がついた。

料理を残すことはなく、いつも満足して平らげていた。ところが、ある日、夕食についたスープを飲みながら「おや?」と思った。ニワトリの骨が入っているのだが、あまり味というものがしない。

ふと、中国南方の桂林や南寧で塾をやっていた頃のことを思い出した。生徒の女性がある日、僕のためにラーメンを作ってくれた。初めてのことで、彼女は出来上がったラーメンの汁を味見しながら、「うんうん」とうなづいている。きっとおいしいのだろうなあ。

そのラーメンをひと口食べて、びっくりした。僕には味がほとんどしないのである。もちろん、文句を言ったりはしなかったが、僕の頭の中は「???」だった。

僕は恥ずかしいけど、味覚は「音痴」に近いのか、何を出されても「おいしい、おいしい」と、ろくに噛みもせずに飲み込んでしまう。でも、以上のような経験から、僕にも少し分かってきた。台北や桂林、南寧といった南方に住む台湾人や中国人は、一般に塩分が少ない薄味を好むようだ。何人かの中国人に尋ねてもそうみたいだし、いま思えば、台北の下宿先の料理も最初から薄味だった感じがする。

台北に「肥前屋」という日本料理店がある。店前には昼も夜も20人、30人の行列ができている。鰻重(うなじゅう)が一番の人気とかで、日本人の旅行者もよく食べにくるそうだ。じゃあ、試しにと行列に加わってみた。

たまたまその行列にいた日本人の男性が説明してくれた。「ここの鰻重はね、日本のものより薄味なんですよ。それがまた自然な味でおいしくて」。確かに、日本で食べていたのと比べると(と言っても、日本の鰻重は最近、高くてほとんど手が出ないのだけど)味が薄い。僕にはイマイチ物足りなかった。ただし、値段は日本円で「大」が1800円、「小」は1000円ほど。随分と安かった。

台北の街中を歩いていると、小さな粽(ちまき)屋があった。看板に「少油少塩 養生粽」とある。台湾は政府が「減塩」の音頭をとっているそうだが、こんなところまで、薄味を売り物にしている。

僕が南寧にいた時、「寮」と称した僕の住まいには、生徒たちや同僚の先生の女性4〜5人が同居し、僕も含めて全員が代わる代わる食事を作っていた。いま思うと、生徒たちはみんな中国の南方の人間で、僕に「味がしないラーメン」を食べさせてくれた生徒もそうだった。一方、同僚の先生は同じ中国でも北方の出身で、一般に北方人はやや濃い味を好むと言われている。

僕はと言えば、さっきも書いたように、味覚には鈍感だけど、家人からよく「醤油をかけ過ぎる」と注意される。濃い味が好きなのだろう。

好みのさまざまな連中が「味」について喧嘩することもなく、よくしばらく共同生活をしていたな、と思わないでもない。お互いに味を相手の好みに近づけるべく、努力していたのだろうか。僕の濃い味を我慢してくれていたのかも知れない。これには後日談もある。

北方人の同僚の先生は3年前に日本にやってきて、翻訳や通訳の仕事をしている。一方、南方人の「味がしないラーメン」の女性は少し遅れて1年前、留学にやってきた。先生は生徒を家に招いて食事を振る舞ったが、真っ先に生徒から出てきた言葉は「どうして、こんなに濃い味つけをするのですか?」だった。先生は知らず知らずのうちに、日本の味つけに慣れてしまったのかも知れない。

もっとも、この先生も僕なんかに比べると、ずっと薄味を好むようだ。例えば、昼食の弁当のひとつとして、彼女はときどきカップラーメンを持って行く。同僚の日本人女性にもそんなのが多い。

ただし、中国人の彼女はラーメンをおいしく食べても、汁はすべて捨ててしまう。こんなに濃い味の汁はきっと健康によくないと思うからだ。ところが、日本人の女性は汁まで飲んでしまう。「どうして、こんなにおいしい汁を飲まないの?」と、不思議がられるそうだ。

僕はやっとこの年齢になって、味の濃い、薄いに関心を持つようになった。そして、薄味の方が健康にいいことは、まず間違いはないだろう。まことに遅まきながら、これからは薄味に慣れていこうと思っている。