スーパーの店員は「言葉3つ」で用が足りる

日本から上海経由で南寧へ戻る途中、上海のデパートに立ち寄った。地下のスーパーマーケットには日本の食材がいっぱい並んでいる。梅干を買おうと思った。最近、なぜか梅干が好きになり、日本からも買ってくるが、何しろ重い。上海で買えば、日本で買うのよりいくぶんは割高で、味もいくらか落ちるだろうが、運ぶのがそのぶん楽である。そう考えた。

このフロアは実に広い。女性店員の1人に「梅干はどこにありますか」と尋ねた。「梅干? 没有(メイヨー ありません)」。すげない返事だ。しかし、これであきらめる僕ではない。僕も中国に住んで結構長くなる。こちらのスーパーの店員は、たとえそれが店内にあっても、自分が知らなければ「没有」と答える。他の店員に聞けば「あちらにあります」といった答えも期待できる。そう分かっているから、2人目、3人目に尋ねてみた。が、2人とも「没有、没有」。自信たっぷりである。そうかなあ、これだけ大きな日本食材のスーパーに梅干がないなんて、考えられないなあ。僕は独り言を言った。

すると、横から「梅干ならそこにありますよ」という日本語が聞こえてきた。若い2人連れの女性だ。日本人らしい。異国で同胞に助けられた。袋に入った梅干が山積みになっていた。

南寧のわが住まいに近いスーパー。いつも買っている「味千ラーメン」がない。この生めん、熊本発祥のもので、日本ではそれほどではないが、中国では大変に有名だ。宣伝するわけではないけど、中国の他のラーメンとは「ひと味」違う。味千ラーメンは「片目をつぶった女の子」がキャラクターだが、スーパーの棚には目指す奴が見当たらない。代わりに、「両目を開いた女の子」がキャラクターの「疑似・味千ラーメン」がいっぱい並んでいる。

女性の店員に尋ねた。「味千ラーメンはないんですか?」。店員は棚をチラリと見て「没了(メイラー なくなりました)」。そんなことは僕だって分かっている。在庫がないのかどうかを聞きたいんだ。だが、店員は調べようともしない。もちろん、品切れで申し訳ありません、といった感じはどこにもない。棚になければ、ないのは当然ではないか、なんでそんなことを聞くんだ? 客を小馬鹿にしたような表情さえ浮かべている。仕方なく「次はいつ入りますか」と尋ねてみた。「不知道(ブジダオ 分かりません)」。

こちらのスーパーでものを尋ねた時、以上の「没有」「没了」「不知道」という言葉を聞かされることがほとんどだ。「ありません」「なくなりました」「知りません、分かりません」である。尋ねた商品の場所を店員が知っていても、店員は黙ってそちらの方向を指差すだけだ。もっとも、そこまで連れて行ってくれる店員もいないことはない。そんな時は本当に感動するが、指差すだけが普通である。スーパーの店員は「没有」「没了」「不知道」という客向けの3つの言葉さえ覚えていれば仕事が務まる、と思えるぐらいである。

ついでに、もっと憎まれ口を叩くと、店員たちには客に対する「笑顔」というものがない。もちろん、彼女たちだって笑わないわけではない。でも、それは客を差し置いて自分たちだけで談笑している時のものだ。客が「すみません。何々はどこに?」と尋ねた時に笑顔が返ってくることはまずない。うるさいわね、この客・・・といった感じの顔つきをしている。大方の場合、僕にはそのように思える。上海のスーパーではないけど、かえって、たまたま居合わせた客のほうが何かと親切に教えてくれたりする。

レジの店員たちには、さすがにベテランを置いているのだろう。「笑顔」はもちろんないが、注意していると「歓迎(ファンイン いらっしゃいませ)」とか「謝謝(シェシェ ありがとう)」とか言う店員も時にはいるようである。ただ、蚊の鳴くような声と言うか、耳を澄ましていないと聞こえて来ない。日本のスーパーのようにハキハキとはしていない。お座なりな感じがする。

南寧のバスターミナルなどには「十字文明用語」なるポスターが掲げられていたりする。10字は「請」「您好」「謝謝」「対不起」「再見」で、これらを使ってあなたも文明人になりましょう、といったところか。「請」は人に何かを頼んだりする時に最初に付ける言葉、「・・・をお願いします」「どうぞ・・・してください」といった意味だ。例えば「請問・・・」は「お尋ねいたしますが・・・」である。「您好」は「こんにちは」の丁寧な言い方、「謝謝」は「ありがとう」、「対不起」は「済みません」、「再見」は「さようなら」。こんな掲示があるということは、日常こういう言葉を使う人が少ないということだろう。

せめて、スーパーの店員さんたちが、客と目が会った時には「您好」と声を掛け、「没有」「没了」と言う時には「対不起」と付け加える・・・つまり「没有」「没了」「不知道」に加えてあと1語か2語、文明用語を覚えてくれたら、買い物も随分と楽しくなるのになあ、と思っている。