危機を乗り越えて 謹賀新年

謹賀新年。本年もお付き合い下さいますよう、お願い申し上げます。

暮れの25日に羽田空港から上海浦東空港経由で台北の桃園空港に向かった。いま日本で働いている中国人の教え子のひとりに、飛行機の安い切符を探すのが上手なのがいる。その彼女に頼んだら、羽田―台北の直行便ではなく、中国の東方航空を上海で乗り継ぐ切符を見つけてくれた。年末のこの時期にしては安い。ありがたい。ただ、東方航空は遅れるのに定評?があるとも聞いている。きちんと乗り継げるだろうか? 荷物もちゃんと台北まで届けてくれるだろうか? ちょっと嫌な予感がした。そして、予感はふたつとも的中し、おまけまでついた。

まず、上海到着が1時間近く遅れた。機内放送では上空の気象のせいだと言っていた。それはそれで仕方がないのだが、乗り継ぎ機の搭乗時刻まで15分ほど、出発時刻まで1時間ほどしかない。この大きな空港で、乗り継ぎ機の搭乗口までどのくらい掛かるだろうか? 飛行機は待っていてくれるだろうか? とにかく小走りで急いだ。

でも、安全検査の場所には各地への乗り継ぎ客がたむろしている。「没有时间」(時間がないんだ)と叫んでも、誰も関心を示してくれない。汗びっしょりになりながら、やっと搭乗口にたどり着いたのは出発時刻の5分前。そこには誰もいない。飛行機への通路にある扉も閉まっている。その扉をたたいたりしていたら、航空会社の職員らしい女性がやってきた。搭乗券を見せたけど、「駄目です」と首を振り、階段を上がったところで待っているようにと指示された。

やがて、男性の職員がやってきて、別のところに連れて行かれた。そこには日本語を話せる別の男性職員がいた。「次の便で台北まで送ります」とのこと。飛行機を降りてからここまで、僕は片言の中国語で何とかやってきたので、ほっとした。同時に、背中のリュックがなんとなく軽いのが気になった。旅行中、パソコンはリュックに入れている。こんな重さではない。恐る恐るリュックを開けると、パソコンがない!!! 

思い返すと、安全検査の折にパソコンをリュックから出した。そのあと、急いでいたので、検査で脱がされた上着もコートも着ないで手に持ち、搭乗口に駆け付けた。その際、パソコンをどうしていたのか、全く記憶にない。なんたるお粗末な危機管理能力か。でも、嘆いていても仕方がない。ここから安全検査の場所まで戻りながらパソコンを捜すしかない。まず、乗るはずだった飛行機の搭乗口に行ってみた。途中で立ち寄ったトイレものぞいた。どこにもパソコンの影はない。

いよいよ最後の望みの安全検査の場所に行った。小部屋がいくつもある。どこで検査を受けたのかは覚えていない。仕方がないから、そのひとつに飛び込んで「パソコンを置き忘れた」と中国語で叫んだら、ひとりの男性職員が小部屋の外を歩いていた仲間らしい女性に声を掛けてくれた。彼女はしばらくどこかと連絡を取っていたが、やがて少し先の部屋を指差して、あそこへ行けと言う。そこに、僕のパソコンが置かれていた!!!

あとは遅ればせながら台北行きの便に乗るだけ、本当にほっとした。ただ、僕が予定の便に乗らなかったので、荷物は降ろし、どこそこに置いてある、それを取ってこいとのこと。でも、その「どこそこ」に行ったが、僕の荷物はない。どこそこを指示した職員を引っ張って行ったが、明らかに迷惑そうだ。じゃあ、今度は別のところに行って聞いてくれと言う。一応、それに従ったが、同じことの繰り返しである。みんな、こんなことには付き合いたくないという表情が顔に出ている。

結局、とりあえず僕は荷物をあきらめて台北に飛ぶ、台北の空港で担当の部署に行く、そして、上海で荷物が見つかり、台北まで送られてきたら、僕の宿泊先に届けてもらうように頼むことになった。台北の部署で相手をしてくれた職員は親切だった。日本語はできないが、知っている日本語の単語を交じえて話してくれる。おかげで一応の決着がついた。でも、上海の空港のそっけない連中を思い出すと、腹が立ってくる。あんな連中のやることだ、荷物がちゃんと届く確率は高くないだろう。

日が暮れてから台北のホテルに着いた。そして、近くのコンビニから買ってきた日本のビールと日本のウイスキーをあおっていた。11時過ぎだったろうか、そろそろ寝ようと思っていると、フロントのおじさんから僕に日本語で電話があった。「荷物が届いています」。

ところで、今度の事件――パソコンの置き忘れを除けば、責任はすべて航空会社など相手側にある、と僕は考えていた。だが、そうとばかりは言い切れないみたいだ。まず、羽田―上海の機中で僕が客室乗務員に「乗り継ぎに間に合わなくなるかも知れない」と訴えていたら、どうなっただろうか。到着後、真っ先に飛行機から降ろしてもらえただろうし、台北行きの飛行機に前もって連絡することもできた。そして、僕を搭乗口まで引っ張って行ってくれたかも知れない。安全検査も横入りを許してくれただろう。上海への便には日本人の客室乗務員もいたから、話は早かったはずだ。僕のやり方ひとつで乗り遅れなかった可能性がある。

また、僕が乗り遅れたため、台北行きの飛行機は出発直前に僕の荷物だけを降ろしている。相当の手間だっただろう。そのために、出発もかなり遅れている。機内でもその旨の放送があったに違いない。僕の名前までは出なくても、僕は乗客たちの恨みを買っているはずである。

今度、台湾から日本に戻る時も上海経由である。よし、もし上海への便が遅れて乗り継ぎに差し障りが出そうだったら、機内で手際よく対処し、旅慣れたところを乗客や客室乗務員の皆さんに披露してやろう。