そうだ台湾 行こう

米国のトランプ次期大統領が先般、外交関係のない台湾の蔡英文総統と電話で会談した。1979年の米国と台湾の断交以来、米大統領台湾総統と直接には接触しないのが外交上の慣例だった。だが、今回はそれを破った。一方、中国は中国と台湾がともに「中国」に属するという「一つの中国」の原則を破ったものだと抗議しているが、トランプ氏はさらに「なぜ我々が『一つの中国』の原則に縛られないといけないのか」と、中国の顔を逆なでしている。――そんなニュースを読んだりしていて、JR東海の宣伝文句「そうだ京都、行こう。」じゃないけれど、台湾に行ってみたくなった。

僕は大陸の中国は割合にあちこち行ってきたが、台湾には1度行っただけだ。もう四半世紀以上も前、東京からシンガポールまでコンテナ船に乗せてもらった折に、台湾南方の高雄に立ち寄った。それも夕方に着いて朝方に出港というあわただしさ。港に近い屋台で徹夜で飲んでいただけの台湾だった。でも、それ以前からも、台湾とはちょっとした「縁」があった。

日本は1972年、田中角栄政権が中国大陸を支配する中華人民共和国政府を「中国の唯一の合法政府」と認めて国交を樹立した。いわゆる「日中国交正常化」である。これに伴い日本と台湾(中華民国)とは外交関係がなくなった。

それはそれで仕方のなかったことだろうが、新聞社にも異変があった。当時、僕のいた新聞社をはじめほとんどの新聞社が、それまであった「台北支局」を閉鎖してしまった。台湾に支局があると、「一つの中国」の原則に抵触する、その結果、中国政府を怒らせ、北京に駐在記者を置けなくなる――そんなことだったらしい。あるいは、中国政府から日本の新聞社に対して、脅しのようなものがあったのかも知れない。そして、新聞社の中では台湾に取材に行くことはもちろん、個人的に旅行することもご法度(はっと)になってしまった。

台湾を取材したり旅行したりすることと「一つの中国」とはどんな関係があるのか。いま考えれば、腑に落ちない話である。当時、まだ30歳代半ばで気鋭(?)の経済記者だった僕もそう思い、社内で「台湾に行けないなんて、おかしいじゃないか。しかも、台湾経済はいま、おもしろい段階に来ている。僕を取材に行かせてほしい」と訴えて回っていた。だけど、上司は歯牙にもかけてくれなかった。

ところが、そのうちに「台湾の政治と経済についての社内用の詳しい報告書が欲しい。政治は政治部の某、経済は経済部の君が書くように」との指示が下りてきた。やっぱりこの会社も見るべきところはちゃんと見ているんだ。これで台湾に行ける。僕は小躍りしたが、一つ条件がついていた。「台湾にはいっさい行ってはならない」。

がっかりしたけど、仕方がない。当時、日本と台湾の間では、国交は断絶したものの民間交流を続けるべく、従来の大使館に代わる窓口機関が互いに設けられた。台湾側の機関で東京にあったのは「亜東関係協会東京弁事処」(現在は「台北駐日経済文化代表処」に改称)と言い、僕はそこに入り浸っていろいろと取材した。台湾から経済関係の要人が来日したと聞けば会いに行った。

そのうちに、この亜東関係協会から僕に提案があった。「お宅の新聞社と北京(中国政府・共産党)とのことは、我々もよく分かっています。しかし、百聞は一見に如かずです。あなたが台湾に来たことは、新聞やテレビ、ラジオではいっさい報道させません。報道管制を敷いて、北京にはばれないようにします。ですから、極秘で台湾に来ませんか」。

大人の対応だなあとは思ったけど、「報道管制」というのがどうもしっくりこない。台湾側の提案を受けるべきかどうか、判断しかねて、この報告書作成の責任者である上司に相談した。この人はなかなかに太っ腹との評判だった。彼はしばらく考えてから言った。「新聞などでは報道しないと言ったって、台湾にも週刊誌があるだろう。週刊誌に書かれて北京に知られたら困る。やっぱり行ってはいけない」。

結局、隔靴掻痒(かっかそうよう)の状態でかなり長い報告書を仕上げた。それでも、いま振り返ると、一つだけ自慢したい点があった。当時は台湾が遠くない時期に中国に吸収されてしまうというのが、日本での大方の見方だった。だが、僕は報告書で「少なくとも20世紀中に台湾と中国が一緒になることはない」と結論づけた。当時からすれば四半世紀もの先を見通したわけで、21世紀のいまも台湾と中国は別々である。当時の台湾の豊かさ、中国の貧しさを比べれば、台湾が中国に飲み込まれるなんて考えられない。ただそれだけの根拠だが、見通しをよく間違っていた僕としてはヒットだった。ちなみに、いまでは僕のいた新聞社も台湾に支局を復活させている。ただ、その経緯についてはよくは知らない。

――そういうわけで、クリスマスの頃からしばらく台湾で過ごしてくることにした。かの地には教え子どころか知った人は誰もいない。いささか不安ではあるけれど、40年も前の敵(かたき)を討ってくるつもりになっている。