死ぬまで「自立」を目指して

東京の駒沢オリンピック公園。1964年の東京オリンピックでも使われた場所である。そのサッカー場で60歳代、70歳代から80歳代の男たちが月に2回、水曜の午後、「水曜練習会」と称してボールを蹴っている。

僕は学生時代に始まって就職してからも長く、現役でサッカーをやってきた。ただ、会社を定年で辞め、中国に渡って以降は、実技からはほとんど遠ざかっていた。空白は15年ほどになる。ただ、最近は日本にいることが多いので、サッカーをまたやりたくなった。しかも、水曜練習会の世話人の男性は20歳代から一緒にサッカーをやってきた仲間だ。僕と同じ後期高齢者でもある。かねがね「出てこないか」と誘われていたので、再開の下見を兼ねて練習を見に行った。

その日は50人ほどが4組に分かれ、グラウンドを半分ずつ使って同時に2試合ずつを繰り返していた。それが2時間、3時間経っても終わらない。日本のおじいさんは元気である。ぶつかり合いも結構激しい。ちょっと悔しいけど、もう一度、我が体を鍛え直さないと、この人たちと一緒にサッカーをやれないな。中途半端にやると、大怪我をするかも知れない。それが当日の僕の結論だった。

サッカーを再開したいと思ったのには、別の理由もある。ある勉強会で「加齢に伴う自立度の変化パターン」(秋山弘子『長寿時代の科学と社会の構想』から)という、男女別の自立度追跡調査の結果を見せられた。

まず、男性だが、60歳代半ば以降の自立度の変化を見ると、全体の19%が急激に「要介護」の状態に向かって行く。そして、70歳代になると、「風呂に入る」「短い距離を歩く」「階段を2〜3段上がる」のにも援助が要るようになっていく。でも、すぐに死んでしまうわけではない。人生はまだ続いていく。

次いで、全体の70%の男性は75歳あたりまでは元気で、自立している。僕も今はそうである。ところが、この年齢を過ぎたあたりから自立度が落ち始め、「要介護」に向かって行く。80歳代半ば以降になると、さっきの19%の男性と同じく「風呂に入る」といった基本的な日常動作にまで援助が必要になってくる。

さて、最後に残った11%の男性だが、75歳を過ぎ後期高齢者になっても、自立度はあまり落ちない。80歳、85歳、90歳・・・かくしゃくとしている。
じゃあ、僕もその11%のお仲間に入れてもらおうじゃないか。それがサッカーを再開しようとしたもうひとつの理由だった。

ところで、女性についての「加齢に伴う自立度の変化パターン」だけど、男性には3つの集団があったが、女性の集団は2つだけである。しかも、男性のように、生きている限り高い自立度を保っているという集団がない。つまり、12%の女性は60歳代半ばから急激に自立度が下がり、70歳くらいになると、もう「風呂に入る」「短い距離を歩く」「階段を2〜3段上がる」のにも援助が必要になってくる。もちろん、彼女たちもそれですぐに亡くなるわけではない。

残りの88%の女性は70歳くらいまでは自立しているが、その後、だんだん自立度が落ちる。男性のように、高い自立度を保ち続ける女性群はいない。80歳頃になると「日用品の買い物をする」「電話を掛ける」「バスや電車に乗って外出する」のに援助が必要になる。さらに、80歳代半ばになると、「風呂に入る」「短い距離を歩く」「階段を2〜3段上がる」ことにも援助が要るようになる。

90歳代や100歳以上で活躍している女性も少なくないのに、統計的にはなぜこうも総崩れなのだろうか。まだ勉強していないが、とりあえず今日のところは僕だけの話で以下、ご勘弁を願いたい。

サッカーはまだちょっと無理なので、いろいろと探してみた結果、僕は今「スロージョギング」なるものに凝り始めている。ジョギングそのものが「ゆっくり走る」ことなのだが、これはさらにゆっくりと走る。歩く速度とほぼ同じ時速4〜5キロ、歩幅も20〜30センチで小刻みにというものだ。一般社団法人日本スロージョギング協会という組織もあり、各地で講習会を開いている。

僕はこの10年来、脊柱管狭窄症というのを患っている。脊椎にあって神経を囲んでいる脊柱管が、加齢につれて狭くなり、足が痺れたりする。で、ジョギングをしていると、ときどき痺れてくるのだが、このスロージョギングだと、それがあまりない。しかも、歩く速度とほぼ同じなのに、けっこう汗が出てくるし、1時間ほど走ってもそれほど疲れない。僕の体に向いているみたいである。酒を飲んだ後でも、散歩代わりに走れる。

そこで今後、何か月かこれで鍛えてから、うまくいけば、駒沢オリンピック公園でサッカー再デビューを果たしたい。目下、そう目論んでいる。