日中「船旅」の勧め

君たちが将来、旅行や留学で日本に行くことになったら、最初は飛行機なんて駄目だよ、ぜひ船で行きなさい――僕は塾で日本語を教えている生徒たちにかねがねそう勧めてきた。だって、飛行機だと、いったん空港を飛び立ってしまえば、日本に着くまでずっと狭い座席に縛り付けられているだけ。途中の光景なんて、ないも同然である。お隣の席以外、客同士の付き合いもない。なんとも味気ない。初めて日本に行くのに勿体ない。道中はもっといろいろと見て、楽しまなきゃ。その点、船旅は随分と違う。

僕自身も桂林そして南寧に住んで以来7年以上、日本との行き来はずっと船を使ってきた。上海までは仕方なく飛行機だが、上海からはフェリーに乗り込む。昼ごろ、揚子江(長江)の支流にある上海を出た船はやがて大河に入り、ゆっくりと下って行く。川の水はお世辞にも奇麗とは言えないが、だんだんと遠ざかる上海の高層ビル街にテレビ塔、船の両側を行き交う大小の船――たとえスモッグに覆われていても、それなりの風情がある。船はやがて東シナ海に入る。


上海と日本の間には「蘇州号」「新鑑真号」の2隻のフェリーがそれぞれ週に1往復している。どちらも総トン数1万4000トン台、全長150メートル余り、写真の上が蘇州号、下が新鑑真号。パンフレットからの複写で写りはよくないが、両船はよく似ている。大きい船だけに、天気さえよければ、そう揺れることもない。蘇州号は日中合弁会社、新鑑真号は中国の会社の経営だが、乗組員はみんな中国人。上手、下手はあっても、大体の船員は日本語が通じる。サービスは日本の「おもてなし」には及ばないが、まあまあである。

料金は一番安い2等室だと片道2万円、往復3万円、これに燃料代が少し加算される。もちろん1等室、特別室から貴賓室まであるが、僕はいつも2等室で雑魚寝している。また、僕は以前、新鑑真号を使っていたが、蘇州号には大海原を見ながら入れる「展望風呂」があるのを知って以来、もっぱらこれに乗っている。風呂は真っ昼間から使える。

中国人の若者に「日中」「中日」について書かせると、両国は「一衣帯水」の間柄で、だから云々とよく書いてくる。でも、一衣帯水って何? 狭い海を隔てたお隣同士といった意味だろうけど、例えば北海道と本州、その本州と四国、九州なら、そう言える。だけど、中国と日本は速力21ノット(時速約39キロ)の蘇州号、新鑑真号でも2昼夜掛かる。一衣帯水なんて軽々しくは言えない。両国は随分と離れている。当然、国民性だって随分と違う。相手を知るのはそう簡単ではない。それを認識していないと、付き合いなんて出来ない。飛行機ではなくて船を使えば、そういう感覚も少しは芽生えるのではないだろうか。日本から中国に向かう時ももちろん2昼夜掛かる。日本の若者たちにとっても、事情は同じである。中国に旅行する時には、一度は船に乗ってほしい。

まあ、そんな小難しいことを言わなくても、2泊3日の船旅はひとりでもそう退屈はしない。蘇州号と新鑑真号は外観と同じく造りも似ている。進行方向に大きく窓を広げた、見晴らしのいい読書室があるし、デッキから大海原を眺めるのも一興だ。晴れていれば、夜空は満天の星である。船に乗るまで、空に「天の川」があるなんて、僕はすっかり忘れていた。マージャン部屋もある。使用料タダ、洗剤タダの洗濯機と乾燥機も置いてある。

食堂の朝食はタダ、昼食、夕食は有料で、日本料理、中華料理といろいろある。1品500円程度。特においしいわけではないが、贅沢を言わなければ、まあいける。自動販売機の日本の缶ビール、清酒は税抜きだから割合に安い。あるいは、持ち込んだワインを船室で朝っぱらから開ける、まさに至福の時である。

船内をうろうろしていれば、日本人、中国人の話し相手も出来る。中国人は上海あたりの出身で、今は日本の関西に住む人たちがよく利用しているみたいだ。母親に連れられた子供たちが日本語で話していたと思うと、中国語の会話に変わっていたりする。欧米人の若者もよく見掛ける。自転車を担いでいたりする。

かくして上海からのフェリーは関門海峡を通って瀬戸内海に入り、島々を眺めながら瀬戸大橋などをくぐり、午前9時ごろ蘇州号は大阪に、新鑑真号は隔週、大阪か神戸に着く。瀬戸内海の青い海、青い島々に青い空――ああ、わが生徒たちに見せてやりたいなと、帰国するたびにいつも思う。

船で日本へという僕の「持論」は一昨年、日本に留学することになった女性の生徒2人に対しても実行した。彼女たちはあまり気乗りしないようだったが、引率する僕が「船中での飲食代はすべて僕が持つから」と、少し強引にフェリーに乗せた。ところが、あいにく天候不順で船が結構揺れ、2人ともかなりの船酔い、飲食どころではなかった。でも、揺れると言っても、大海を通っている時だけで、揚子江を下っている時、また、九州沿岸を走り、さらに瀬戸内海に入った時は、ほとんど揺れない。ご親切にフロントには無料の船酔い止めの薬も置いてある。それに、少々揺れても、遣唐使や鑑真和上の苦労を思えばなんのことはない。若者に限らず、一度は試してほしい「日中船旅」である。