憂鬱なこの年末年始

僕はこの20年ほど、年末と正月はもっぱら中国か台湾で過ごしてきた。中国北方のハルビンと南方の桂林の大学で教えていた時は、物理的にも年末年始に日本に戻るのは難しかった。正月を旧暦で祝う中国では、新暦の年末年始は学期の真っ最中だった。期末試験もある。その後、大学を辞めて、桂林とさらに南方の南寧で日本語の塾をやっていた時も、事情は同じだった。中国人が新年を祝う春節旧正月)になってから、やっと日本に戻ってきていた。

しかし、これにはいくつか「利点」があった。そのひとつは家人から喜ばれたことだ。「亭主元気で留守がいい」ではないけれど、僕がいなければ、正月の準備を特にする必要もない。何かと気ぜわしい年末も、足手まといがいないと、家人も気が楽である。

そんなこともあって、日本語塾をいったんやめて、日本にいることが多くなった近年も、12月から1月にかけては中国か台湾に出かけている。1年前は台湾の高雄と台北で過ごし、新型コロナウイルス感染症が騒ぎになる直前に戻ってきた。台湾の総統選挙もじっくりと見てきた。2年前は、かつて5年ばかり住んだ桂林で過ごし、3年前はやはり台湾に行っていた。

この12月にも当然、出かけるつもりだった。日本のコロナ禍も秋ごろには収束するだろう。一方、中国や台湾はそれをほぼ抑え込んできている。行き来にそれ程の支障はないはずだ。今から思えば、あまりにも楽観的だったが、日本の緊急事態宣言が解除された頃にはそんな気がしていた。

ついては、今年は行き先を上海にするかなあ。上海には、大学や塾での教え子も何人か働いている。親切にしてくれる知人もいる。早くからその腹積もりをしていた。行き帰りは飛行機ではなく、久しぶりに大阪・神戸港からのフェリーに乗ろう。片道2泊3日、海を眺める、そして、酒を飲む。それ以外は何もせず、2等の広い船室に転がっている。夜は満天の星。まさに至福の時である。そのフェリーには「新鑑真」と「蘇州号」があって、それぞれ週に1回、日中を往復している。僕はどちらにも何度か乗ったことがあり、ともに貨客船である。

ところが、夏ごろ、フェリーの年末年始のスケジュールを念のために調べてみたら、新鑑真はこの1月末から旅客輸送をやめ、貨物輸送だけになっていた。新型コロナウイルスの感染防止を理由にしている。ただ、蘇州号のほうはこれまで通りのようで、安心していたら、これも9月末に旅客輸送をやめてしまった。

仕方なくフェリーは諦めるとしても、問題はこのところの新型コロナウイルス感染症の急拡大である。中国や台湾が日本人観光客にビザを出してくれるわけもない。しかし、あきらめの悪い僕は何か「抜け道」があるかもしれないと思い、何度も中国行きのビザを頼んだことがある小さな旅行代理店に電話してみた。出てきた社長は「中国政府の招聘状がなければ無理ですねえ」。中国に入れてくれさえすれば、2週間のホテル隔離もOKなのになあ。得難い体験にもなる。そうぼやいてみたが、どうしようもない。ネットで台湾政府の方針も見てみたが、「観光」の項目には「×」があるだけで、なんともそっけない。

話はもとに戻るけど、年末年始に日本を留守にする「利点」のひとつは、暮れのあわただしい時に「年賀状」を書かなくても、まあ許されそうなことである。僕はこれまで毎年、日本に戻ってから、正月に届いた年賀状を拝見し、おもむろに「寒中見舞い」で返事を出していた。大変に失礼なやり方ではあるのだけど、こうすると、出すべき相手と全体の枚数があらかじめはっきりと分かって無駄がない。こちらが出していない相手から年賀状が来て、あわてて返事を出すといったことも生じない。

さらには、年末に来た「喪中はがき」に対しても、寒中見舞いでお応えすることができる。まさに、一石何鳥かではあった。

ところが、年末年始に日本にいるとなると、もう年賀状の準備に取り掛からないといけない。本来なら、旅行への期待でわくわくしている頃なのに……いやはや、今年は鬱になりそうである。