日本の「影」の行方

サッカーのワールドカップで日本が健闘したおかげで、中国での日本の「株」が上がったようだ。「アジア人の誇りだ」と、わがことのように喜んでくれる中国人もいる。嬉しいことだけど、最近の中国では日本語を学ぶ若者が減ってくるなど、一般に日本の「影」が薄れてきているようだ。ほぼ3年前のこのブログで「薄れゆく?日本の影」と題して書いたこともある。

3年後はどうなのか? 僕自身、ここ3年ほどは中国本土への足が遠のき、日本の影が濃い台湾をもっぱら訪れている。勝手なもので、ワールドカップをきっかけに、本土の状況が気になってきて、中国の旧知に問い合わせてみた。

まずは黒竜江省ハルビンからの報告――僕は2001年秋から5年間、ハルビン理工大学日本語科で教えたことがある。3年ほど前に日本語科設立30周年の記念式典に招かれた際には、日本語科は各学年とも5学級ずつあって、まずまずだった。今もやはり5学級ずつあるとのことで、ほっとした。

ただし、日本式に言えば、こういう国公立の大学の日本語科はなんとかやっているものの、私立の大学の日本語科は苦しくなっている。年によって学級が出来たり、出来なかったり、あるいは日本語科そのものをやめてしまったりという状況だ。そんな大学の日本語科の教師は仕方なく、英語科の第二外国語の担当をしている。これはハルビンに限らず、他の地方の大学でもときどき聞く話だ。教師の多くは女性で、日本に留学したりして、いろいろ苦労しただろうに、と申し訳なくなる。

こうした日本語科の衰退はハルビン理工大学の先生によると、「就職先の日本企業が少なくなってきたことと、2011年の東日本大震災の影響が大きいでしょう」とのこと。大震災のあと、日本に留学する若者の数が急減したそうだ。

広西チワン族自治区景勝地・桂林からの報告は、いささか衝撃的だった。いわく「今や桂林では、日本の影なんて、消える寸前のようです。日本人の観光客は全くと言っていいほど見かけません。日本語の学校も多くが姿を消しましたし、銀行も日本円をあまり扱わなくなりました」。僕はハルビンから桂林に移って、広西師範大学日本語科で1年間教えたあと、日本語の塾を開いていた。

僕の知る限り、桂林には10年ほど前、日本語の学校や塾が大小合わせて20ほどあった。僕が桂林で4年ほどやっていた塾も生徒は40人ほどいた。ところが、次々に戸を閉めていき、今あるのは3つだけとのこと。それらも元は観光客相手の日本語ガイドが1人でやっていて、一番大きいところでも生徒は5人ほどと寂しい。生徒が来たときだけ、教室を開けている。

そんな教室の経営者の話だと、桂林に多かった日本語ガイドは肝心の日本人観光客が来ないので、食っていけなくなった。仕方なく日本に行って、急増する中国人観光客を相手にしている。

桂林では国公立の大学も苦しい。僕が教えた広西師範大学の日本語科は当時、二十数人の学級が1学年にいくつかあったが、今は1学年1学級を設けるのがやっとだそうだ。近くの桂林理工大学にも日本語科があったが、学生が集まらなくなり、去年の秋(注:中国の学期は9月から)、4年ぶりに1学級が出来た。桂林旅遊学院というのもあり、遊びに行って日本語科の学生とも付き合ったが、今や日本語科は有名無実とのこと。状況は様変わりしている。

桂林の日本人観光客については、思い出すことがある。当時、わが塾に日本人観光客をお得意さんにする土産物屋の店員がいた。その青年から聞いた話だが、勤め先の土産物店はふだん、看板も何も出していない。戸も閉めている。そして、観光ガイドから「何日の何時、日本人の観光客を連れて行く」という連絡が入ると、その時間に合わせて店を開く。看板も掲げる。

バスで大挙してやってきた日本人観光客が帰って行くと、最敬礼して見送ったあと、看板をはずして店も閉めてしまう。偽物をつかまされた日本人が怒って戻ってきても、大丈夫なようにだ。同胞の観光客には申し訳ないけど、腹を抱えて笑ってしまった。こんな土産物店も気の毒に(?)転業か廃業を迫られたはずである。

中国の四大商業銀行のひとつで、かつては外国為替専門だった中国銀行というのがある。僕が桂林にいた頃、中国銀行に円を預けておき、必要な折に少しずつどこかの支店で下ろしていた。窓口が1つかそこらの小さな支店でも用が足りた。町には日本人も多かったから、どこの店もある程度の円を置いていた。

しかし、それはもう昔の話で、最近は市内で一番大きな支店にだけ、円が少しあるといった状況らしい。有利なレートで中国の元に交換してくれる闇屋はまだいるが、「円のやり取りがすっかり減ってしまった」と嘆いているとか。

これを盛り返すにはどうしたらいいのだろうか。中国の書店の語学のコーナーに行くと、英語がダントツだが、日本語がそれに次ぎ、いくつかの棚を持っている。だが、そのうちにそれが縮小され、ドイツ語やフランス語と一緒の「諸外国語」の棚に入れられてしまっている――そんな「悪夢」を見てしまった。