日々満足のわが食生活

どうやったら、こんなにまずい料理が作れるのだろうか? 一種の才能だろうか? 街で食事した後、こんな感慨に捕らわれることがある。そんなに高い店に行くわけではないが、それほどひどい店に入るわけでもない。でも、まずい。もっとも、地元南寧の人たちはうまそうに食べている。僕の味覚のほうがおかしいのかも知れない。だが、冒頭の「感慨」はうそ偽りのないところである。

同じ中国でも以前、北方のハルビンにいた時はそうではなかった。外食することが多かったが、ギョーザが安くてうまかった。韓国料理もよかったし、ロシア料理も美味しかった。何よりも羊肉の鍋がこたえられなかった。何日も続けて羊肉の鍋に通ったことがよくあった。食べることに悩みはなかった。

ところが5年余り前、南方の桂林に来て事情が変わった。蒸しギョーザとか東北(旧満州)料理とか、気に入った店もあったが、数が限られている。韓国料理は肉の質が落ちる。羊肉の鍋は1軒だけがまあまあだったが、ハルビンとは月とすっぽん。食べることが悩みになった。そして昨春、桂林から南へ400キロほどの南寧に引っ越してきて、事態はさらに悪化した。冒頭に書いたような状況になった。日本料理の店ならまあ食べられそうだが、値が張ってわが懐とは折り合わない。で、その対策だが、外食が嫌なら自炊するしかない。でも、毎日一人で自炊するなんて大変だ。では、どうしようか。

結論から言うと、「必要は発明の母」である。僕が住まいとして借りたアパートは結構広いので、生徒たち何人かを「寮」と称してここに住まわせよう。そして、食事当番を代わり番にやらせればいい。僕も平等に引き受けよう。今、僕と女性ばかり4人の生徒が一緒に住んでいる。アパートは広間と食堂のほかに3部屋あるので、1部屋に僕、2部屋に生徒が2人ずつという形である。

で、食事当番のことだが、基本的には月曜日から金曜日までの夕食を1人ずつが担当する、土曜日と日曜日の夕食、それに毎日の昼食は臨機応変にということにした。朝食の用意は僕だけがサボらせてもらい、4人にやってもらう。下の写真がある日の朝食風景である。皿にはトマト、ブロッコリー、リンゴ、ナシ、カキ、バナナ、ミカン、パイナップル、スイカなどの野菜、果物が少しずつ盛られている。あと、ゆでタマゴや目玉焼きがついたり、お好み焼き風のものがついたり、飲み物は自家製の豆乳だったり、トウモロコシやカボチャのスープだったり、それに、やはり自家製のマントーや肉まんじゅう・・・健康のためには1日に30種類の食べ物をとも言われるが、こうして食べていると、朝食だけで軽く10種類を超えてしまう。

夕食には塾で同僚の中国人の先生も手伝いがてらやってくる。大人6人の大所帯となるが、料理番は互いに切磋琢磨(せっさたくま)、質も向上して最近では日々満足といった感じになってきた。下の写真がそれらのうちの2例である。最初の献立はクワイ、ニンジン、サヤエンドウ、レンコンの煮物に牛肉とダイコンのスープ、クロマメの炊き込みご飯である。次はふろふきダイコン、中華風茶碗蒸し、それに高野豆腐、ピーマン、トマトの炒め物、クワイ、パプリカ、チシャの煮物といったメニューである。


僕にも週1回、当番が回ってくるが、日本で買い込んできた「カレールー」にはすっかりお世話になっている。以前、桂林で日本人のご老体に「お口に合うかどうか」と手製のカレーを勧めたら、「最近はカレールーがよくなりましてね。誰が作っても失敗しないんですよ」と、のたまった。口の利き方を知らないじいさんだったが、言っていることはまさにその通りだ。生徒たちに「おいしい、おいしい」と食べてもらえる。下の写真がそのカレーで、茹でたレンコンとピーナツが添えてある。兼業農家である生徒の実家に行ってもらってきたものだ。

もっとも、カレーだけではさすがに飽きられるので、湯豆腐、タラちり、ビーフステーキ、鰻丼といったものを間に挟んでいる。鰻はスーパーで買ってきた冷凍もの、たれは醤油、砂糖、米酒(清酒ではない)だけで手作りした情けない奴だが、一応は鰻丼らしき雰囲気が漂ってくる。生徒たちに意外に好評なのがのり巻きである。カツオブシ、タマゴ焼き、キュウリをご飯と焼きのりでくるむだけだが、「今日はのり巻きだ」と言うと、拍手が起きたりする。

最後に登場するのが上の写真。今年のお正月のおせち料理である。重箱はないが、クワイサトイモ、ニンジン、キノコ、サヤエンドウ、高野豆腐、コンニャクにあげ豆腐、肉団子までついている。そして赤飯。清酒の代わりに中国産の高級白ワイン。写真にはないが、雑煮は韓国風の餅で間に合わせた。そのうちに、生徒たちと一緒にレストランをやり、街の人たちを「こんなにも美味しい料理が世の中にあったのか」と、驚かせてあげたいと思っている。