せこいレストラン

南寧で羊肉の鍋のいい店を見つけた。日本式に言えば、羊肉のしゃぶしゃぶである。結構大きな店で、大小のテーブルが100やそこらはあろうか。それでも、平日、休日を問わず夜7時ともなると満員になる。店の名前からするとチェーン店のようだが、一度行ったことのある、同じ名前の別の店は肉がまずい、サービスが悪い。二度と行く気がしない。それに比べ、ここは肉がうまくて雰囲気もよい。会合に使ったり、塾の仲間と出掛けたりしていた。

某日、ほぼ2週間ぶりにこの店に入った。いつも通りの注文をした。羊肉を一切れ、口に含んだ。今までとは歯触り、舌触りが明らかに違う。肉が固い。味がしない。肉の質を落としたな! ピンと来たが、従業員にそんなことを言っても仕方がない。否定するに決まっている。

でも、しゃくだから、従業員にそれとなく聞いてみた。理由が分かった! 経営者が3か月前に変わったというのだ。ちょうど僕がこの店に通い出したころのことだ。想像するに(まず間違いはないだろうが)新しい経営者は当初、それまでの肉を引き継いでいたが、やがて、肉の質を落としたのに違いない。値段はそのままだから、やることがせこい。この日、休日の夜だというのに、客は普段の半分くらいだった。さすがに客は敏感である。僕ももう二度と行くことはないだろう。

肉の質で思い出したのだが、僕がハルビンにいた頃に親しくしていた中国人がいた。彼とは時々、街中に羊肉の鍋をつつきに行った。『怪味楼』という、日本人が聞くと変な名前の店があり、なかなかにおいしかった。はやっていた。本部は中国の南方のどこかにあり、チェーン店だった。

事業家でもあった彼はひらめいたのだろう。ハルビンから汽車で2時間ほどの郷里に戻り、『怪味楼』を開いた。場所が警察署の2階という、中国ならではの立地でおかしかったが、僕はお祝いを持って駆けつけた。羊肉の味はハルビンの店に劣らない。彼は「本部の推薦するニュージーランドの肉を使ってるんだ。中国産の肉はやっぱり味が落ちる」と自慢していた。店はその後、結構繁盛していたようだ。

その彼と先般、この南の地でぱったりと顔を合わせた。はるばる3000キロ、事業のチャンスを求めてやって来たのだそうだ。で、例のお店はどうしたの? と聞くと、つぶれてしまったとのこと。なんでも、儲けをさらに増やそうと、ニュージーランド産の羊肉に中国産の質の劣る奴を混ぜていったら、客足が遠のいてしまった。彼は「妻と料理人が勝手にやったんだ」と、責任を転嫁していたが、知らなかったはずはないだろう。お気の毒だが、思わず噴き出しそうになった。

桂林にいた頃にもレストランのせこさにうんざりさせられたことがある。こっちは同じ肉でも北京ダックだった。家からバスで30分以上も掛かるのに、時々出掛ける店があった。中国人も「味はまあまあ」と言い、値段は1羽が78元(1元=12〜13円)。スープや何やかやになってテーブルに出てくる。量は2人だと多すぎるくらい。ほかの料理を取る必要は全くない。1000円やそこらで2〜3人がそれなりの北京ダックを満喫できるなんて、日本での値段を思えば夢のようだ。

桂林から南寧に引っ越す少し前、しばしのお別れと、この店に出向いた。すると、北京ダック1羽だけのセットがなくなり、北京ダックと別の料理1皿がセットになっている。値段は78元が96元に。食べたくもない18元の料理を押し付けられるわけだ。従業員は「この料理は本来、1皿20元以上しますからお得です」と言うが、余計なお世話である。以後、桂林に来ることがあっても、この店だけには入るまいと決心しながら、北京ダックを頬張った。

韓国料理店へ焼肉を食べに行って「肉の質を落としたな」「おまけに1皿の量も減らしたな」と感じることもある。まあ、なんとかして儲けを増やしたいという気持ちも分からないではない。ただ、中国のこの南の地のレストランでは、僕の口に合う味がなかなか見つからない。同じ中国人でも北の方から来た連中は似たことを言っている。それだけに「ここは食える」という店を見つけた時は嬉しいし、それが後で裏切られると怒りが増幅してしまう。

なんでちょくちょく裏切られるのだろうか。ひとつ、理由らしきものに気づいた。街をぶらつきながらレストラン・飲食店の類を眺めていると、「開店→閉店」のサイクルがこちらではかなり短いようなのだ。オープンして半年やそこらで店じまいといったのにも、しばしばお目に掛かる。それはレストラン・飲食店に限らない。思うに、そうした店の経営者はイチかバチかの短期決戦を挑んでいるのではないか。お客に愛されて末永くなんてことは考えない。とにかく目先の利益にこだわる。儲からなければすぐに撤退する。そんな気風が「せこさ」に繋がっている。僕はそう解釈している。