奢り 奢られ また奢られ・・・

昨年の大晦日、当時滞在していた広西チワン族自治区の梧州から人口3000万の大都会重慶に飛行機で向かった。景勝地の桂林経由で3時間弱。同行してくれたのはLAさん。日本語塾での教え子で、梧州の日系会社に勤めている。重慶空港にはやはり日本語塾での教え子で、今はこの地で働いているTAさんと恋人のLI君が出迎えてくれた。空港から街中のホテルまでタクシーに乗った。日本に比べれば安いものだが、1時間ほど乗っていると、料金は100元(1元≒17円)に近づいた。

TAさんもLI君も大学を出てまだ間もない身だ。重慶でぎりぎりの生活をしているに違いない。タクシー代を払わせるわけにはいかない。僕は手に100元札を握り締め、ホテルに着き次第、間髪入れずに払えるよう身構えていた。ところが、助手席に座っていたLI君が僕よりも一瞬早く、運転手の手に100元札をねじ込んでしまった。運転手は僕の100元札を受け取ろうとはしない。

ホテルに着いてから、僕は100元札を今度はTAさんの手にねじ込んだ。ところが、後で聞くと、僕に同行のLAさんはTAさんからまた100元札を戻されてしまったとのこと。断り切れなかったらしい。困り果てたLAさんは翌日の食事の折、TAさんがちょっと席をはずした隙に、彼女のハンドバッグを無断で開けて100元札を押し込んでいた。

最近、教え子たちと一緒に行動していると、この種のことがよくある。やはり重慶での夜、さっきの4人で羊肉の鍋を囲んだ。これもTAさん、LI君の二人に払わせるわけにはいかない。そこで同行のLAさんにある程度、費用を渡しておき、「折を見てレジに行って支払ってほしい」と頼んでおいた。食事がかなり進んだ頃、LI君が席をはずした。おや、支払いに行くんじゃないだろうか。LAさんのわき腹をそっと突いたが、彼女は「大丈夫でしょう」と済ましている。やがて、LI君が店のカレンダーを手にして戻ってきて、みんなに配ってくれた。

しばらくしてLAさんが席をはずした。勘定をしに行ったのだ。戻ってきて言うには「済みません。もう支払ってありました」。翌日の夕食は「北京ダック」。今夜こそはこちらに払わせてほしいと嘆願し、そのようにはなったものの、勘定は前夜よりだいぶ安かった。申し訳ないことをしてしまった。

重慶と前後して、梧州と同じ広西チワン族自治区の防城港に別の教え子のPAさんを訪ねた折にも似た経験をした。防城港は北部湾という海に面し、ベトナムが近い。今度、同行してくれたのはやはり教え子のLUさん。広西の東隣、広東省の広州で働いている。

着いた日の夕食は、ここでもまた僕の好物の羊肉の鍋。PAさんと夫、PAさんの母らが一緒だ。同行のLUさんにはやはりそれ相応のおカネを渡し、支払いを頼んでおいた。なのに、食事が終わっても、LUさんが支払ってくれた形跡がどうもない。また失敗したなと思った。ところが、あとで聞いてみると、「ちゃんと払っておきましたよ」とのこと。彼女は広州の日本料理店で働いている。さすがにこの種のことには抜け目がないようだった。

翌日、PAさんから朝食に誘われ、夫やLUさんと一緒にレストランに行った。朝食とは言え、結構な料理が出てくる。昨日、僕らが払った夕食のこともあるし、まあ、これくらいはと思ってご馳走になった。

食事の後、PAさんの夫が勤める建設中の原子力発電所を見学に行った。見学は僕が希望したことで、1年ほど前にも行ったことがある。夫の同僚の女性が車を持ってきて案内してくれた。街中から往復2時間ほど。前回はまだ発電していなかったが、今回は1号機がすでに稼動し、2号機も完成、3号機が建設中だとのこと。前回も今回も「原発は人類を幸せにする」との標語が掲げられていた。

街中に戻ってきたら、「さあ、食事です」と、子牛の肉が売り物の店に連れて行かれた。PAさんの夫がどんどん注文し、完全に主導権を握っている。「ここは僕に払わせて下さい」なぞと言える雰囲気ではない。結局、支払いは僕らが1食分、PAさん夫婦が2食分。ここでも申し訳ないことをしてしまった。

昨年秋、遼寧省瀋陽に行った時は、ハルビンの大学での教え子で瀋陽在住のLIさんにホテル3泊の予約を頼んでおいた。それはもちろんちゃんとしてくれていたのだが、ホテル代は「もう払ってます」と言い、受け取ろうとはしない。食事もご馳走になっているのにホテル代まで・・・僕は困ってしまったが、ひとつアイデアが浮かんだ。彼女は小さな日本語の塾を開いたばかりだった。その「お祝い」としてホテル代相当分を押し付け、やっと少し気が軽くなった。

中国人の教え子のみんながこれほど気前のいい連中ばかりではない。けれど、日本で40歳も50歳も年下の日本人からこんなふうにご馳走になったことは、ついぞない。