「健脚」の成れの果て

どうも僕は最近、地下鉄などの電車の駅で階段の上り下りを嫌がっている。ついエスカレーターやエレベーターに頼る癖がついてきた。よくないなあ――日頃、そんなことを思っていたので、台湾に旅行したのをきっかけに、少なくとも電車の駅では自分の足で階段を上り下りしようと決心した。

まずは台北の地下鉄だ。東京でも随分と深いところを走っている地下鉄があるが、こちらも負けず劣らずである。民泊先にもっとも近く、毎日のように乗り降りしていた地下鉄の駅もそうだった。都心に向かうホームが地下4階、都心から戻ってきたときのホームが地下6階。出口までの階段の数は150あまり。休み休みしながらもいっさい、エスカレーターやエレベーターは使わなかった。

台北には周りに小高い山が多い。地下鉄の終点に近いところにある「象山」もそのひとつで、標高は180メートルあまり、階段が1000ちょっとある。展望台からの眺望はなかなかのものだ(下の写真)。1年前にも上ってみたが、さすがにきつくて、休み休みしながら、やっと頂上に着いた。

今回は地下鉄の階段でかなり鍛えたので、少しは楽に上れるだろうと再挑戦してみた。だけど、前回とあまり違わない。やはり、休み休みしながらだった。僕の横を2段ずつ上がっていく若者も少なくなくて、悔しかった。

下りてくる時に、階段を1歩1歩、踏みしめるように実にゆっくり、ゆっくりと上っていく5人連れに出くわした(上の写真)。しばらく彼らを目で追っていると、100段、200段・・・まったく休まずに上っていく。

そうだ、これがいいのだ。後日、まねてみた。ゆっくり、ゆっくり・・・ただし、足はできるだけ高く上げて・・・。すると、なんと1000段あまりを休まずに上り切れた。僕を追い抜いていった若い連中も途中でひと休みしている。イソップ寓話の『ウサギとカメ』ではないけど、僕はウサギに勝ったカメみたいである。

僕はもともと「健脚」には自信があった。50歳代の半ばには、新聞社の仕事がらみで日本の奈良から中国の西安(昔の長安)まで、陸路1500キロほどを2カ月で歩いたことがある。休息日もあったが、連日30キロほどを歩き続けるのは、なんでもないことだった。しかも、それを2回もやった。

今回、1000段あまりの階段を休まずに上り切ったことと、その20年ほど前の記憶が一緒になって、僕はまだまだ「健脚」だという気持ちが強くなった。ところが、全くそうではないことを、まもなく思い知らされた。

台湾から日本に戻ってしばらくすると、日本に留学したりしている教え子の女性ふたりから「札幌に遊びに行きませんか」という誘いがあった。札幌の北海道大学の大学院にはやはり教え子の男性がいる。久し振りに会ってみたい。二つ返事でOKした。

出発前夜は東京・羽田空港近くのホテルにひとりで泊まった。ところが、夜が更けるにつれ、左の太腿が痛み始めた。神経痛とでも言えばいいのか、今まで経験したことがないような痛さだ。ほとんど眠れなかった。旅行をキャンセルしようかとも思ったが、初めての北海道旅行を楽しみにしている教え子には、とても言い出せたことではない。

翌朝早く、這うようにして羽田空港にたどり着いた。落ち合った教え子が驚きながらも早速、車椅子を借りてきてくれた。結局、僕は車椅子に乗って、いの一番で飛行機に搭乗することになった(下の写真)。

札幌の新千歳空港でも車椅子で移動し、バスで札幌に行って、そば屋で昼食ということになった。教え子は「昼食がすんだら、救急車で病院に行きましょう」と言うが、痛みは少し和らいできた。このまま我慢していたら、よくなるかもしれない。何よりも彼女たちの楽しみを壊したくない。わずか2泊3日の旅行である。

そうは言っても、いまどれくらい歩けるのかな? トイレを理由に席をはずし、少し歩いてみた。とても無理である。結局、救急車を呼ぶことにした。病院では「坐骨神経痛の可能性がありますね」と言われた。薬をもらい、痛みはさらに和らいできたが、札幌では車椅子の世話になることが多かった。翌日、JR札幌駅の展望台に上ったときも車椅子だった(下の写真)。結局、せっかくの旅行を僕が台無しにしてしまった。

――僕は10年ほど前から「脊柱管狭窄症」というのを患っている。歩いたり走ったりしていると、ときには足が痺れてくる。今回の痛さもそこから来ているみたいだが、これまではいろんな体操をしたり、歩く程度のジョギングをしたりして、だましだまし、なんとかやってきた。しかし、それだけでは全く不十分なようだ。これからは別のことも試してみようと決心している。