台湾の日系の神々

台湾には日系の神々がいる、それも旧日本軍の軍人とか軍艦とかが神様である。そんな話を聞いて、訪ねてみたくなった。

まずは台南。台北駅から高速鉄道(高鉄、台湾版新幹線)で南に1時間半ほどの台南駅に行き、そこからは台湾鉄路(台鉄、日本の在来線に相当)に乗り換えて台鉄の台南駅へ。駅からバスで30分ほど、町の中心部からは少し離れたところにある「鎮安堂飛虎将軍」(下の写真)という廟に向かった。廟の入り口には、ちょっと変な日本語だが、「歓迎 日本国の皆様 ようこそ参詣にいらっしゃいます」との横断幕が掲げてある。

ここに祭られている神様とは、下の最初の写真にある旧帝国海軍航空隊の「杉浦茂峰兵曹長」で、次の写真が同兵曹長のこの廟での神像である。以上2枚の写真は廟のパンフレットから複写した。また、「飛虎」とは戦闘機のこと、「将軍」は神として祭られる勇士の尊称とのことだ。


廟のパンフによると、太平洋戦争末期の1944年10月12日朝、米軍が台南を空襲した。日本軍はゼロ戦零式艦上戦闘機)で迎撃したが、衆寡敵せず、1機また1機と撃墜されていった。この空中戦を目撃した地元民の話では、よく敵を制していた1機のゼロ戦も敵弾を受けて尾翼より発火し、地上を目がけて急降下を始めた。

ここで機を捨てて脱出すれば、自分は助かるかもしれない、と飛行士は思った。だが、その時、眼下に広がる大きな集落が飛行士の目に入った。自分は助かっても、何百という家屋が焼かれるだろう。飛行士はすぐ機首を上げ、集落から離れた畑と養殖池のほうに向かい、ここで機を捨て落下傘で脱出した。しかし、米軍機の機銃掃射で落下傘が破れ、飛行士は地上に叩き落されて戦死した。そこはいまの飛虎将軍廟の近くだった。軍靴には「杉浦」と書かれており、後に「杉浦茂峰兵曹長」だと分かった。

パンフにはこのあたり、まるで飛行士が記録を残していたかのように書かれている。どこまでが真実かは不明だが、地元の人たちはそう信じているのだろう。

そして1945年の終戦から数年後のこと。白い帽子を被り、白い服を着た人物が闇夜、このあたりをうろつくのを、集落の人たちが目撃するようになった。亡霊は人々の夢の中にも出てきた。集落の守り神にお伺いを立てると、戦死者の亡霊であるとのこと。村人たちはこの亡霊は戦時中、集落を戦火から救おうとして自分を犠牲にした杉浦兵曹長ではないかと考え、彼を顕彰するために1971年、敷地4坪ほどの小さな祠(ほこら)を建てた。

白装束の亡霊などの話は部外者にはにわかに信じがたい気もするけれど、祠には参拝客が絶えなかった。1993年には祠が建て替えられ、地元民の手で敷地50坪ほどの現在の廟が出来た。大理石の壁や柱を持つなかなかの建物である。廟守は朝夕2回、たばこ3本に火をつけて神像に捧げ、朝は『君が代』、午後は軍歌『海ゆかば』を流すそうだ。

僕が訪れたのは昼過ぎだったが、参拝の記帳簿にはすでに10人ほどの日本人の名前が記されていた。その場には僕のほかにも何人かの日本人がいたし、多い日には30人ほどの日本人がやってくるとか。日本酒などのお供えもあった。僕も何かを置いていかないと悪いような気がして、お賽銭を100元(1元≒3.7円)入れてきた。

次は台南から高鉄でさらに南に10分あまりの高雄に向かった。台北に次ぐ台湾第2の大都市である。ここでは「紅毛港保安堂」という廟(下の写真)を訪れた。もとは海べりの紅毛港というところにあったのだが、再開発で場所を空港の近くに移され、地下鉄の駅からもやや離れたところにある。

ここでユニークなのは、下の写真のような「38にっぽんぐんかん」と称した軍艦の模型が神として祭られていることだ。ただ、申し訳ないことに下手な写真で、左上にある「神艦」という肝心の文字が少ししか写っていない。この軍艦には人形の乗組員が72人いて、海に向かって立っている。頭上には万国旗がはためいている。軍艦は神艦であるから、彼らは「神兵神将」である。

廟の由来はここのパンフによると、ある漁民が1946年に海からひとつの頭蓋骨を拾ったことに始まる。漁民はこれを海岸の小屋「保安堂」に供えた。「海府大元帥」と呼ばれたこの頭蓋骨の素性は分からなかったが、1979年、仙人を通じて彼から「自分は日本の第38番軍艦の艦長で、太平洋戦争で戦死した。日本の護国神社に帰りたい」との話があった。

信徒たちが半信半疑で日本に行って調べたところ、そのような史実のあることが判明した。そこで、1980年、高雄の船大工に頼んでこの模型をつくり、廟に「神艦 38にっぽんぐんかん」として祭ったという次第だ。全体がおとぎ話のようでもある。

廟はやや不便なところにあるせいか、僕以外に参拝客はいなかったが、寄付一覧のノートを見ると、台湾人、日本人からの1000元、2000元、3000元、さらには2万元、10万元という金額がずらりと並んでいた。10万元と言えば約37万円である。また、記念品のTシャツを400元、帽子を500元で売っていた。

廟のパンフの最後にはおおむね次のように書かれている。「日本の軍艦の艦長だった海府大元帥がいま台湾に住んで、台湾の漁民を守っています。日本人なのに、その土地の風習に従っています。これは台湾の民間信仰が融和的で多元的なことを表しています」。それは飛虎将軍廟についても言えそうで、ふたつの廟は台湾の土着の文化の「おおらかさ」に触れられる格好の場所なのかもしれない。