珍訳、迷訳、翻訳文の粗探し

ことし冬、中国・四川大地震震源地である四川省〓川県映秀に行ってきた。大地震は2008年5月12日に発生し、四川、陝西、甘粛の3省で死者・行方不明者約8万7000人を出した。まもなく満8年になる。映秀地区は壊滅的な被害を受けたが、新しく住宅地が整備される一方で、大地震で倒壊した中高一貫校がそのまま保存されている。校舎の正面には地震発生の「午後2時28分」を刻んだコンクリート製の「時計」が置いてあった。

倒壊した校舎には入れないが、その間を縫って見学通路が設けてある。見学に際しての注意を中国語、英語、日本語、韓国語、フランス語の5カ国語で記した表示板が所々にあった。それらをチラチラ見ているうちに、「あれ? なに? この日本語」と、大地震の爪あとはそっちのけにして、おかしな日本語が気になりだした。おやおや、こんな訳はやめてほしいよね。粗探しが始まった。けっこう長く中国で日本語を教えてきた性(さが)かも知れない。

まずは、上の写真にある「文明に慰霊してください」である。中国語の6文字には確かに「文明」という単語があるが、「文明に慰霊」では日本語として意味が通じない。同じ「文明」でも中国語と日本語では同じ意味もあるが、微妙に違うところもある。小学館の『中日辞典』で中国語の「文明」を引くと、日本語訳は「文明」「文明の開けている」「道徳的な」「礼節のある」が出てくる。

表示板の「文明」はこの後半の意味なのである。だから、例えば「礼節を持って慰霊してください」「礼儀正しく慰霊してください」、あるいは、少し意訳して「静かに慰霊してください」としてくれれば、よく分かる。

その下の「笑って喧嘩しないでください」もおかしな訳である。じゃあ、怒ったり泣いたりしながら喧嘩したら、どうなんだ? と突っ込みを入れたくもなる。確かに、中国語の「嬉笑」は「にぎやかに笑う」「笑いさざめく」という意味である。ただ、中国語の「喧嘩」(表示板の「嘩」は中国の簡体字で書いてあるが)は日本語の「喧嘩」とはかなり意味が違う。さっきの辞典によると「がやがやとやかましい」「騒がしい」「騒ぐ」とある。

だから、ここは「笑い合ったり、騒いだりしないでください」とでもしてくれれば、意味が通じる。この中高一貫校でもかなりの生徒たちが亡くなっているのだ。

簡単な中国語なのに、どうしてこんな珍訳、迷訳が出てくるんだろう? 多分、日本語を習い始めて日の浅い学生がアルバイトで訳したんじゃないの? 以前、中国の日本語塾で同僚だった中国人の先生にそう聞くと、「いえいえ、日本語の修士号くらいを持っている人でも、こんな間違いをやらかしますよ。同じ単語でも日中の文化の違いもあって、日本語への翻訳は難しいんです」とのこと。

そして「あなたは日本人だし、この程度の中国語なら、辞書さえあれば、ちゃんとした日本語に訳せるんです。反対に、中国語に訳す際は、どんなに簡単な日本語でも、きっと珍訳、迷訳をやらかすはずです」と言われてしまった。

でも、もう少し表示板の粗探しを続けよう。上の「あなたの足に 私の一生」である。イマイチ意味不明の日本語だけど、表示板は背の低い青草の茂みのそばにあった。「あなたの足にとっては一歩かも知れないけれど、私の一生が掛かっているのです」。ひらたく言えば「お願い、私を踏み付けないで」だろう。

「私に緑をあげて、あなたに萌えを返す」。これも同じような所にあった。「私を踏み付けないでね。やがて芽を出して、あなたを楽しませるから」といったところだろうか。いずれにしろ、日本語訳はどうも長くなってしまう。

で、さっきも少し書いた日本語から中国語への翻訳のことだけど、日本に長く住んでいる中国人女性が、日本人から中国人にあてたビジネスがらみの手紙の翻訳を頼まれた。二つ返事で引き受けたが、彼女は最近、考え方にしろ何にしろ、自分がどうも日本人化してきたみたいな感じを持つことがある。そこへ、たまたま中国から知り合いの女性がやってきたので、「中国語の表現はこれでいいかしら」と、翻訳を終えた手紙を念のために見せてみた。

すると、「こんなの、駄目よ」と一蹴され、やがて添削されたものが戻ってきた。見ると「友情」「努力」「合作」「有縁」「将来」「成功」「夢想」といった言葉が気恥ずかしくなるくらいちりばめてある。日本人の日本語の手紙にはなかった言葉だ。中国人を喜ばせるには、これがポイントとのことだった。

というわけで、まあいろいろあろうけど、日中双方とも翻訳文の粗探しはあまりしないで、意味がおおよそ通じればそれでもいいのではないだろうか。中高一貫校にあった英語、韓国語、フランス語の翻訳もそれほど立派なものではないだろう。お互いに堅いことは言わないで・・・自分で粗探しを始めながら、おしまいはそんな気持ちにもなってきた。