半世紀ぶりの「受験」

6月の最後の日曜日、「中国語検定試験」なるものを初めて受けてみた。「一般財団法人 日本中国語検定協会」が主宰している。僕にとっては、受験自体が大学生の時に受けた就職試験以来、ほぼ半世紀ぶりのことである。少しドキドキ、青年に戻ったようで少しワクワクもした。

この中国語検定試験は難しいほうから1級、準1級、2級、3級、4級、準4級と6段階に分かれている。僕が受けたのはその真ん中あたりの3級――長年、中国で暮らしながら、今ごろ「3級受験」とはお恥ずかしい限りだが、それでも「筆記」はなんとかできたものの、もともと苦手な「ヒアリング」が難しかった。いい結果が聞けそうにはない。

それはそれとして、僕もこれまで中国語の勉強をしてこなかったわけではない。思い起こせば2001年、ハルビン理工大学に日本語のボランティア教師として行く前、短期間だが日本で2回、中国語教室に通った。中国ではハルビン理工大学と桂林の広西師範大学で合わせて3回、留学生相手の中国語の授業に首を突っ込んでいた。ハルビンではロシア人、南方の桂林ではベトナム人が同級生だったが、それらもいつの間にか辞めてしまった。三日坊主のようなことをこれまでに日中両国で5回もやってきたわけである。

その理由は自分なりに分かっている。ひとつは「目標」を設けなかったからである。この場合の目標とは、最初に書いたような検定試験を受けることである。「いついつ何級を受験」という目標があれば、少しは真面目に勉強する。ところが、僕のように「中国にいるのだから、中国語ができればいいなあ」ぐらいの気持ちではとても目標にはならない。

おまけに、中国の大学や塾で日本語を教えているのだから、上手下手は別として毎日、日本語をしゃべる中国人に囲まれて生活している。困ったことがあれば、何でも日本語で助けてくれる。それに、もし僕が流暢な中国語を操っても、相手は日本語を上達させたいのだから、喜んではくれない。しばらく日本に戻っている今もたまに中国に行けば、教え子の誰かが寄ってきてアテンドしてくれる。言い訳めくが、中国語を真面目に勉強しようという環境にはどうも乏しかった。

もうひとつ、理由がある。それは、中国では授業料が「ただ」だったことだ。僕は中国の大学で合わせて6年間、教師をボランティアでやった。代わりに、留学生としての授業料は大学が免除してくれた。ありがたい話だけど、無料だと思うと、勉強への身の入れ方がどうしてもおろそかになる。

そして、この3月ごろだったか突然、そうだ、中国語の検定試験を受けてみよう、そのためにはおカネも使おう、と思い立った。そのきっかけは――僕もけっこう年を取った。世間では失礼にも「後期高齢者」とか呼んでいるようだ。このままだと、中国語もろくにできないうちに死んでしまうかも知れない。悔しいではないか――脈絡のはっきりしない話ではあるが、なぜかそう思った。

調べてみると、年に3回ある中国語の検定試験がちょうど6月にある。それである日、東京の後楽園近くにある「日中学院」をのぞいてみた。15年前に初めて中国語の授業を受けたところだ。中に入ると、見覚えのある中年の男性に出会った。あれっ、あのころクラス担任だった中国人の先生じゃないだろうか。向こうも僕を見て、特徴のある大きな目を見開き、おやっという顔をしている。

で、「やあ、やあ、お久しぶり」と旧交を温め、この先生のクラスに途中編入することになった。3級、4級の検定試験合格を目標としているとかで、6月の試験のすぐ前に授業が終了する。ちょうどいい。毎週火曜と木曜の夜、2時間ずつ20回の授業で、授業料は6万円ほど。休むことはなく、真面目に通った。同級生は老若男女の5人ほどだった。

その結果が冒頭に書いたようなことなのだけど、僕は中国で日本語の塾をやっていた頃、生徒たちに言い聞かせていた。ひとつは、塾に払う授業料を惜しいとは思ってくれるなということ。「先生、いつごろから独学で日本語を勉強できますか」と質問する生徒もいた。授業料を惜しんでのことだろう。もちろん、独学でも日本語を学べないことはない。でも、塾に通っていると、何かと刺激を受ける。それが励みになる。

もうひとつは、試験を受けろ、そして、1級でも2級でも、テストに合格したからと言って、満点でなければ喜ぶなということ。不合格だったら、なおさらだ。満点になるまで、何回でも受けてみろ、それでやっと力がつく、と諭していた。

でも、自分では中国語に対してそれをやってこなかった。今ごろになって、生徒たちに大きな顔をして言っていたことを、自分に課すことになった。今回、落ちていても、どうであっても、11月の次の中国語検定試験が楽しみである。おカネも惜しむまい。そんな心境になっている。