せこいお客

中国っていいなあ――つくづくそう思ったのは、もう15年以上も前のことになろうか。仕事の関係もあって中国に頻繁に来るようになった頃だった。ただ、それは我ながら実にせこい理由からである。

当時、よく中国人と一緒にレストランで食事したのだが、その折、彼らは自分たちが飲む酒――こちらの焼酎である白酒――を瓶まるごと持ち込むのが普通だった。レストランでも売っているのだが、持ち込みの方が当然、安くつく。日本でなら、こんなことをしたらまず100パーセント、従業員から「お客様、当店ではお持ち込みは・・・」と注意されるだろう。ところが、中国ではそんなことは全くない。いつも堂々と持ち込んでいる。おおらかで、いいねえ。

1年の大半を中国で過ごすようになってから、僕もそのようにしてきた。ただし、僕の場合はスーパーなどで買った白酒そのままではなく、これにクコを入れて1か月ほど寝かせた奴をペットボトルに忍ばせて持ち込んでいる。普段、家でもこれを飲んでいる。クコ酒は味がマイルドだし、たぶん健康にもいいはずだ。下の写真が持ち込み用ボトルの例である。ボトルは日本でお茶を入れて売っている奴だ。お茶に見せ掛けるなんて、実にせこい客である。

クコ酒の持ち込み歴はすでに10年近くになるが、まだ一度も店から文句を言われたことがない。ただ、中国のレストランもせちがらくなってきて、下の写真のような「謝絶自帯酒水」つまり「アルコール類の持ち込みお断り」と掲示する店が増えてきた。とは言っても、従業員たちはこの種の掲示にはあまり関心がないようでもある。もし、従業員から文句を言われたら「これは薬酒で、病気の私には欠かせない」とかなんとか、つたない中国語で言い訳しようと待ち構えているのだが、これまでのところそんな必要は全くない。

知人の中国人によると、「持ち込みお断り」なんて本気で思っているのは経営者だけだとのこと。もし、従業員が規則通りにお客に注意して喧嘩になり、不愉快な思いをしたとする。だが、その結果、従業員になんらかの利益があるわけではない。喧嘩して不愉快な気分になった分だけ損である。だから、持ち込みが分かっていても何も言わないのだそうだ。ありがとう。

桂林時代、わが塾の生徒たちと通っていた羊肉の鍋の店があった。肉の質はまあまあで、何よりも値段が安い。いつも若者たちでいっぱいだ。ただ、鍋に入れる「麺」が全くいただけない。スーパーなどで売っている「即席麺」をそのまま出してくる。安さの代わりだろうが、手抜きもはなはだしい。そこで、近くの市場で「生麺」を買ってきて鍋に入れることを思いついた。アルコール類の持ち込みが食品の持ち込みにエスカレートした。

そのうちに、生徒たちが「ここのシイタケも小さくてよくないですよね」と言い出した。そうだ、シイタケも市場でいい奴を買って持ち込もう。そして、次にはシメジ、キクラゲ・・・少しずつ持ち込みのレパートリーが増えていく。南寧に移ってからも、同じようなことをしている。従業員も気づいてはいるのだろうが、なんとも言わない。ありがとう。

まじめに考えると、横領とかいった犯罪はこのようにしてエスカレートしていくのではないだろうか。少しごまかしてみたら、ばれなかった。もう少し多めにごまかしてみても、やはりばれなかった。じゃあ、次は・・・。もっとも、食品の持ち込みも僕たちだけではないようだ。酒に加えて最近は「食品の持ち込みお断り」の掲示も見掛けるようになった。

レストラン経営者にとってアルコール類や食品の持ち込みは確かに困るだろう。が、悩みはまだまだあるようだ。下の写真では、中ほどの「持ち込みお断り」の下に「食品の返却、交換はお断り」とある。これは、さっき書いた桂林の鍋屋で見掛けた奴だが、「全部食べ切れなかったから、残った分を引き取ってくれ」「注文したけど食べないから、別の物に交換してくれ」と言う客がいるようなのだ。僕だってさすがにそんなことはしない。すごい客がいるものである。

日本でなら、アルコール類や食品の持ち込みお断りの掲示なんて、まず見掛けない。少なくとも僕は見たことがない。それは、黙って持ち込まないことが「客側の常識」であるからだろう。どうしても持ち込みたければ、持込料を払うのが常識だろう。食品の返却、交換なんて論外である。

一方、この地では持ち込むのが「客側の常識」であるようだ。だから、店側はそれに抵抗しようと、先のようなお断りの掲示が登場する。日本とこの地――どちらの「常識」がより健全なのか。当地の人たちに影響されてか、持ち込み常習犯となってしまった僕には、判断しづらいところである。