台湾 「自助食堂」の世話になった高雄での日々

12月下旬の夕食時、日本からの直行便で台湾南方の大都市高雄市の宿に着いた。宿から「おいしいですよ」と教えられた「牛肉面」の店に向かう途中、「自助美食」という看板(下の写真)が目に入った。自助とは「セルフサービス」のことだ。店は大きな四つ角に面していて、けっこう流行っている。
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ちょっと覗いてみた。四角いステンレスの入れ物に、肉、魚、野菜、豆、豆腐などの料理がそれぞれ盛られ、腰ほどの高さの棚の上に並べられている。下の写真はその一部で、料理を盛った入れ物の数は60~70はありそうだ。写真の奥のほうが厨房で、男たちが料理を作っている。
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その日は紹介された牛肉面で夕食を済ませたが、翌日はまっすぐこの店に出向いてみた。だけど、どうやって「自助」するのか、支払いはどうするのか、勝手がよく分からない。それを誰かに尋ねるほどの語学力もない。仕方がないので、次々にやってくる客の動きをしばらく眺めていた。バイクで来る客も多い。

まさに老若男女だが、この店で食べる客と、持ち帰る客とがいる。店内で食べる客のためには4人掛けの小さなテーブルが5つ置いてある。店の隅のほうに目をやると、プラスチック製だろうか、四角いトレーと弁当箱のようなものが重ねてある。店で食べる客は前者に、持ち帰る客は後者に、料理を盛っていく。

そうした流れの終点のところに、おばさんが立っていて、代金を取っている。ここがいわゆるレジである。米飯もおばさんが盛ってくれる。おおよそのシステムは分かったけれど、どの料理がいくらするのか、どこにも表示がない。どうやって代金を決めているのだろうか。

まあ、びっくりするほどの値段ではないはずだ。トレーに料理を盛っていった。トマトとタマゴを炒めたもの、野菜のなんとか、マーボ豆腐のようなもの、豆類……そして、終点のおばさんのところに行き、ご飯も注文した。おばさんは僕のトレーを睨みながら、一瞬の間をおいて「45元」とのたまう。どうやら、おばさんの「勘」で値段が決まっている感じもする。でも、たったの45元。昨日、台湾銀行で円を台湾元に交換したが、1元は3.8円ほどだった。つまり45元は170円ほどにしかならない。これで夕食がいただけるなんて……。

翌日も夕食はこの店に直行した。料理の種類をくわしく見ると、サバの塩焼きらしきものがある。鶏卵の目玉焼きもある。それらを含めて、前日よりもいくらか料理を多めに取り、おばさんの前に立った。「110元」とのこと。サバなんかが値が張るのだろうか。

次の日はサバの代わりにサケの塩焼きを選んだ。目玉焼きも2枚取って、重ねておいた。おばさんはじろりと目玉焼きを睨みつけ、箸の先で上側の目玉焼きを少しつまみ上げた。目玉焼きの2枚重ねを見破ったのだ。「120元」「うぬ、おぬし、できるな!」。昨日より10元高いのは、目玉焼き2枚のせいだろうか。隠すつもりはなかったのだけど……。 

それはそれとして、アルコールなしの夕食はなんとも味気ないが、この店にはビールなどは置いていない。幸い、近くにスーパーがある。ここに来る前に、缶ビールその他を買ってきて飲めばいい(下の写真)。店の人は誰も文句を言わないし、スーパーでは「台湾ビール」のロング缶が40元、多めに買うと38元に負けてくれる。れっきとしたビールが日本の発泡酒より安めである。
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僕は自慢じゃないけど、偏執狂みたいなところがある。この店に連日通って7日目、それまでと同じ程度の量なのに、おばさんは「145元」と言う。だんだん高くなっていく。少し舐められているのではないだろうか?

8日目、料理は同じように取ったが、米飯は「小」にした。そして、おばさんの前に100元札1枚を置いた。おばさんはちらりと僕を見て「それで、いいよ」と言った。いや、僕には中国語(こちらでは「北京語」と呼んでいる)は聞き取れなかったけど、確かにそう言った。米飯を「小」しか取れない日本人らしい老人に同情してくれたのだろうか。

年が明けて1月上旬、宿を台北市(正確に言うと、台北をぐるりと取り囲む衛星都市で、台北よりずっと巨大な新北市)に移した。宿の近くを歩くと、高雄で通ったような「自助食堂」が3つ、4つとある。昼間からやっていて、かなりにぎわっている。おじいさん、おばあさんが一人で食べていたりする。

台北での宿は朝夕食がついていて、これがまたおいしかった。おかげで、この地の自助食堂を試す機会がなかった。いささか心残りだったが、僕が将来、「独居老人」にでもなったら、こちらに居を移して、自助食堂で食べていくのも悪くはないな、栄養のバランスも工夫できるし、と思ったことだった。