南国・台湾で風邪をひいてしまった

1月中旬の土曜日の夜、新北市台北市をぐるりと囲む衛星都市)の民宿で床に入ったが、どうも寒くて眠れない。部屋に「空調」はついているが、暖房は利かない。それは何もこの家に限ったことではない。北部は亜熱帯、南部は熱帯の台湾では、高級ホテルなどがどうなのかは知らないが、一般には暖房設備がない。そのことはこの宿の奥さんから事前に何度も聞いて承知している。

でも、翌日曜日にはここから台湾鉄道(日本のJR在来線に相当)で東方に2時間余り、台湾の東海岸景勝地花蓮市」に2泊で旅行することにしている。汽車の切符は買ってあるし、花蓮の宿も予約している。風邪はひきたくない。手元にある衣類を手当たり次第に着込んだ。下着のシャツの上にパジャマと上着のシャツ、インナー、ブルゾン、外歩き用のコート……その上から布団をかぶったけど、いっこうに暖かくならない。寒くて眠れない。

この夜の気温が何度だったかは知らないけど、旅行案内で見ると、1月のこのあたりの平均気温は16度ほどである。寒いというような気温ではない。ふと、日本での生活が思い浮かんだ。少しでも寒ければストーブをつける。あるいは空調を26度くらいにする。そして、暖房の毛布にくるまって寝る。寒さなんて、まったく感じない。よかったなあ。しかし、そのおかげで、寒さに対する抵抗力が弱くなっていたのかもしれない。

寒い。寒い。まさに、まんじりともしないで朝を迎えた。大げさだけど、第二次世界大戦で日本が敗れた後、ソ連(当時)によってシベリアに抑留され、厳寒のもとで強制労働に従事させられた人たちのことまで頭に浮かんできた。それに比べれば、なんでもない寒さなのに、どうも風邪をひいたようだ。熱もあるみたいだ。僕の様子を見て、宿の奥さんが「医者に診てもらわないといけません。夫の車ですぐ行きましょう」と気を使ってくれる。僕は寒さに震えていたのに、宿の人たちは皆、なんともなかったみたいである。

幸い、花蓮への汽車は午後なので、時間は十分にある。厚意に甘えて車に乗った。今日は日曜日だけど、心当たりの医者がいるらしい。車は新北から大きな川を渡って台北に入った。かなり遠かった。あとで聞いたのだが、診察を受けたのは個人経営の「診所」というところ。日本語で言えば「医院」だろう。

先客は少なくすぐに診察室に呼ばれた。中年の男性の医師は僕の喉を見たり、聴診器をあてたりした後、「肺炎の心配はありません」と言った。僕が老人だから、まずそれを心配したのだろう。それまでに、僕の気分もだいぶよくなっていた。診察代、薬代はあわせて500元、日本円で2000円足らずだった。いわゆる保険外診療なのに、日本に比べれば、随分と安かった。

ところで、1日に3回飲む薬が5種類、5日分ほど出たのだが、それらの薬が1回ごとにまとめられて、袋に入っている(下の写真)。飲むときに便利である。親切である。感心して、宿の奥さんにそう言ったら、「個人経営の診所だからです。病院ではこんなことはしません」とのことだった。
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その日の午後、床を離れた時の格好からパジャマだけを脱いだ厚着で花蓮行きの列車に乗った。列車の中はけっこう暖かい。前夜の睡眠不足がたたって、うとうとしていたが、随分と汗をかいた。花蓮の民宿に着いて衣服をあらためてみると、下着のシャツ、上着のシャツとインナー、つまり、素肌に近い3枚が汗でびっしょりである。おかげで、風邪はすっかりよくなったようだ。

ところが、その夜、また寒くて眠れない。いらいらしながら、壁に取り付けられた空調を見ると、日本製である。暖房もあるのではないだろうか。リモコンをいじると、29度、30度という表示が出てくる。ありがたい。28度にしてみた。だけど、空調から出てくる空気は、むしろ冷たい。翌日、宿の主に聞いてみると、「空調は冷房だけ。暖房はない」とのことだった。

話は元に戻って、朝までどうやって過ごすかを考えた。すでに、午前3時である。寝床に入れば、寒さに震えるだけだ。そうだ、もう一度、熱めのシャワーを浴び、あとでぬるめの湯をかぶる。汗腺が閉じて体がぽかぽかしてくるはずだ。その状態で、朝までウイスキーをちびちび飲んでいよう。朝になれば、気温も少しは上がってくるだろう。結局、そのようにして朝を迎えた。風邪をぶり返し、咳や鼻水が出たが、まあ活動できないほどではない。宿の主の車で、当地で有名な渓谷の見物に出かけた。

風邪はまもなく快癒したが、ひとつ新発見があった。寒さに懲りたので、そのあと花蓮と新北の宿で「毛布を」と言ったのだが、どちらも「毛布はない」そうで、布団をもう1枚、貸してくれた。これだけで決めつけるわけにはいかないけれど、台湾には「毛布にくるまる」習慣はないのかもしれない。次回、冬の台湾を旅行する時には、スーツケースに毛布を忍ばせてこようと思っている。