ちょっと情けない 南寧の「日本園」

あけましておめでとうございます。
相変わらずの駄文ではありますが、本年もお暇な折などにはお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。

食料品や飲料、衣料品そして電気製品、家具、スポーツ用品、おもちゃ、化粧品、薬品など日本商品をずらりと取り揃えた商店街をここ南寧に誕生させよう。飲食店もあるし、美容院、エステもある。それらの中心部には日本とのビジネスを仲介する事務所を設ける――そんな「日本園」の建設計画が南寧にある。それぞれの店の経営者は日本企業の代理店となった中国人が主だが、ここを「日本の商品、サービス、文化の発信地」としたいとのこと。当地に住んでいる日本人としても胸はずむ話である。市政府が全面的に応援しているそうで、地元の不動産業者がこれを請け負っている。日本からの出店者をいま募集中だ。

いや、さっき「建設計画」と書いたけど、実はその段階はすでに過ぎ、建物はすっかり出来上がっている。中身がまだ埋まっていないのである。下の2枚の写真がその日本園の中心部で、マンション群をぐるりと取り囲む商店街がある。マンションにはすでに人が住んでいるし、商店街もいつでも入居できる。商店街の総面積は15000平方メートル、ブースは200もあるそうだ。全部が埋まればさぞ壮観だろう。さっきの不動産業者のホームページによると、2010年(書き間違いではない)10月に「オープン予定」となっている。だが、いま開業しているのはたったの1軒で、熊本の業者が清酒、焼酎、調味料などを並べている。あとはすべて空き家である。

そして、この日本園は「和風建築」もあって全体が「日本的風情」を醸し出している――地元業者はそう宣伝している。だけど、うーむ。屋根の先端がこんな風に尖った建物が和風建築だの日本的風情だのと言われると、ちょっと体が引けてしまう。でも、まあ堅苦しいことは言わず「日本商務連絡部」と書かれた正面玄関から中に入ってみよう。

すると、すぐ左側に上の写真のような「広西・熊本広場」がある。広場にしてはちょっと狭いが、阿蘇山の写真と熊本の清酒、焼酎、民芸品などが並んでいる。熊本県が業務委託してやらせている。広場の対面には「日本ハイテク技術産品展示」と銘打ったコーナーがある。と言っても、ハイテク産品があるわけではない。ベニヤ板に説明が書かれているだけ。どう見ても展示の仕方はローテクである。係員といった感じの人はいつ行っても見掛けない。閑散としている。

ところで、熊本がなぜこんな場所に登場するのか。第2次世界大戦中、熊本の師団がこの広西チワン族自治区に攻め込んできたことがある。禍を転じて福となすではないが、そんなこととも関係があるようで、熊本と南寧、桂林、そして自治区とはかねて友好関係にある。2009年7月には熊本県知事が南寧に来て、自治区と「友好交流促進覚書」も締結している。

それはそれで結構なことで、ケチをつけたくはない。だけど、この「広場」や「ハイテク産品展示」を見ていると、日本人としてはなんとなく情けなくなってくる。もうちょっと魅力的な展示に出来なかったのだろうか。それに、日本園の正面玄関にこれらについての案内があるわけでもない。もし案内があって入って来たとしても、普通の中国人ならものの1分か2分で飽きてしまいそうな展示内容だ。さっきの2枚の写真を見れば、僕の気持ちも理解していただけるだろう。しかも、ここに入ろうとすると、入り口で警備員に誰何(すいか)されることもある。逆効果である。

でも、せっかく来たのだから、ついでにトイレを借りることにしよう。ところが、ここのトイレがまた汚いのである。もちろん水洗なのだが、掃除をした気配がない。僕は昨年春以来、ここには何度も来て、その度にトイレをのぞいているから自信を持って証言できる。日本園のトイレはこれまでに僕がお邪魔した南寧のトイレの中でダントツに汚い。

このあたりに作られようとしているのは日本商店街だけではない。実は南寧市と広西チワン族自治区はここにアセアン(ASEAN 東南アジア諸国連合)10か国に日本、韓国を加えた12か国からなる「中国―アセアン国際ビジネスエリア」なるものを設けようとしている。そこで、日本園など12の「園」を造り、経済交流の基地にするつもりだ。下の写真がそれらの一部で、順番に韓国園、ベトナム園、ミャンマー園、カンボジア園の中心となる建物である。どれも日本園より建物が立派に見えるのがちょっとしゃくである。




もっとも、商店街の規模の大きさは日本園がダントツで、次の韓国園の商店街はずっと規模が小さいし、アセアン各国のそれは共同の商店街になっている。どこも建物は出来上がっているが、開業している所はほとんどない。その点は日本商店街と同じである。ところが、昨年11月初め、たまたま日本商店街に行った時、下の写真のような光景にびっくりさせられた。各ブースに看板が掛かっている。有名な日本企業では資生堂三菱電機日清食品の看板がある。たこ焼き、お好み焼きの看板もある。さらには酒場、文化教室・・・いやぁ、すごいなあ、こんな店がそのうちに出来るんだと思って嬉しくなった。



が、そうではなかった。これは新しく出来る店の「看板」ではなく、どこからどう集めてきたのかは知らないが、ただの「広告」に過ぎないとのこと。昨年10月下旬に南寧で「中国―アセアン博覧会」なるものがあり、アセアン諸国はもちろん日本からも人が来ていた。それらの人たちに見せるためにこんな広告を張りめぐらせたらしいのだ。

こんな日本商店街だが、聞けば今年5月には10軒余りが開業するそうだ。ブースが200もあるのだからまだまだ寂しいが、本当であれば楽しみである。でも、あれやこれや、ハードは出来たのにソフトがついてこない。中国ではよくある話だが、日本園のこのもたつきは誰の責任なのだろうか。そもそもは中国側が自分たちの思惑があって始めたことだから、第一の責任は彼らにある。だけど、日本側もそれに乗ろうとするのなら、それ相応の責任が生じてくるのではないだろうか。日本園のおぞましいトイレを眺めながら憂鬱になっている。