懐かしの「毛沢東時代」

南寧の市内バスに乗っていたら、後ろの座席のおばさん二人が何やら声高に話している。話の中身は分からないが「江沢民」だの「胡錦濤」だの、あるいは「毛沢東」だのといった名前が出ているようだ。チラリと後ろを見ると、50歳代と思しきごく普通のおばさんたちだ。いったい何を話しているのだろう? 一緒にいたわが塾の仲間に尋ねてみた。

「今の中国共産党の悪口を言っています。腐敗してどうしようもないし、貧富の差も広がる一方だと・・・。それに比べ、毛沢東主席の時代はよかった、貧しかったけれど、みんな平等だった、腐敗だってそんなにはなかった。悪くなったのは江沢民の時代からだ。そう嘆いています」。江沢民氏は今の胡錦濤国家主席共産党総書記の前任者である。

少し前、日本からの客人があって観光地の桂林に行った時のこと、雇ったワゴン車の運転席に金色の小さな毛沢東氏の胸像が輝いていた。まだ若い運転手だった。なぜ毛氏の胸像を?とは聞かなかったが、思わず写真に撮ってしまった。

中国人の知人に共産党をそれこそ蛇蝎のごとく嫌っている人がいる。「共産党が倒れるのを見ない限り死ぬに死ねない」とまで言う。で、僕も少し調子に乗って毛氏の悪口を言うと、「そこまでは言わないでください。私の両親は毛沢東時代を真摯に生きたのですから」と、睨まれてしまった。

ある日、南寧の街中を散歩していたら、「毛主席万歳」という看板を掲げたレストランに出会った。「水を飲む時には井戸を掘った人のことを忘れるな」という彼の有名な言葉も脇に掲げてある。後日、わが塾の仲間を誘って夕食に出掛けてみた。テーブルが10席ほどのそう広くない店内は、毛氏の写真や肖像画、そして当時の新聞の記事などで溢れている。ちょっとした「レトロレストラン」といった感じ。夜7時、8時にはほぼ満席になった。若い連中も少なくない。

料理は毛氏の故郷である湖南省の味とのこと。僕には油濃くってとても口に合わなかったが、湖南省はわが広西チワン族自治区のすぐ北東にある。南寧には同省の人たちが多いそうだから、彼らは毛氏と料理の二重の懐かしさに浸っているのかも知れない。

店のティッシュに書かれた宣伝文を読んでみると、「毛主席の偉業をたたえるとともに、ひとつの歴史を懐かしみ、ひとつの時代を思い出し・・・」などとある。読みようによっては何やら意味深げである。また、僕が入った店は南寧市内に11軒もあるチェーン店のひとつで、本店は1998年の創業らしい。

それでは、とまた後日、塾の仲間3人を連れて、南寧の都心にある本店に出掛けてみた。さすが本店だけあって店内は広い。4人掛けのテーブルがずらりと並び、個室も10ほどある。200人やそこらは入れそうだ。店の飾り付けは以前に行った支店と大同小異だが、まず毛氏の大きな金色の胸像が目に飛び込んできた。支店にはなかったものだ。高さは1メートル以上はあるだろう。照明を浴びて輝いている。夕方まだ早い時間に行ったので、客はほとんどいない。僕たちは胸像の真ん前の1等席(?)に陣取った。

そして、よく見ると、胸像の前にはなんと線香を立てるつぼが置かれ、すでに何本もの線香がくすぶっている。やがて、客のひとりらしいおばさんがやってきて、つぼの傍らにある新しい線香を取り上げ火を付けた。線香をつぼに立てた後、深々とお辞儀を3回、繰り返した。おばさんに尋ねると、店に来るたびに、こうしているとのこと。「ご利益がありますよ。線香はサービスですから、皆さんもどうぞ」と、焼香を勧めてくれた。おばさんの後、何人もが焼香にやってきた。毛氏もこうなれば単なる歴史上の人物ではなく、神様か仏様である。

そう言えば、レストランに入って毛氏の胸像を見たのは初めてだが、肖像画のある店ならちょくちょく見掛ける。個人の家でも、特に田舎では壁に張ってある毛氏によく出会う。店の経営者や家人が毎日、拝んでいるかどうかは知らないけど、何やら日本の神棚に似たものを感じる。

毛氏の胸像の店からそう遠くないところに地元の新聞社の社屋がある。前を通り掛かったら、入り口のあたりに「皆さんへ」と題したA4判大の紙が貼ってあった。読むと「南寧市委員会は」つまり南寧市の権力を握る共産党は「なぜ腐敗や迫害と闘う正義の人たちを守ってくれないのか」とあった。共産党が腐敗しているとか、人々を迫害しているとかは、少しも書いていない。だけど、作者の知性を感じさせるなかなかに意味深げな文であった。

あと何年間かこの国で暮らしていたら、「ひとつの歴史」「ひとつの時代」言い換えれば「歴史の転換点」に遭遇することがあるのだろうか。