蚊帳の外「中国サッカー」の将来

中国人の知人から聞いた話だけど、中国のテレビで次のような漫才をやっていたそうだ。

「いよいよオリンピックです。中国が金メダルをたくさん獲得してほしいです。緊張しますよね」
「私は緊張しませんね」
「どうして?」
「金メダルの数ではどうせ中国が1位でしょう(結果は米国に次いで2位)。私はオリンピックよりもその前のサッカーの欧州選手権の時がイライラして大変でしたよ」

ここで観客が沸くのだが、日本人がこの漫才を理解するには少し説明が要る。今度のオリンピックに中国の男子、女子のサッカーチームは出ていない。オリンピック前の予選で敗退している。オリンピックで中国は次々にメダルを獲得したが、それは水泳、重量挙げ、卓球、バトミントン、体操など個人種目が中心で、サッカーのほかもバスケットボール、バレーボールといったチームで戦う種目は冴えなかった。オリンピック後の新聞には、敗戦に泣く中国女子バレーの選手、うなだれる中国男子バスケットの選手の写真が載っていた。

一方で、中国人は他人事なのにサッカーの欧州選手権を熱心に見ていた。そのレベルの高さと中国サッカーの現状を比べると、悔しくて仕方がなかった。それほど中国人はサッカーが大好きで、自国の現状にイライラしている。でも、中国のサッカーチームはそれに応えてくれない。そんな皮肉が先ほどの漫才の落ちになっている。

それに比べ、日本と韓国のサッカーは今度のオリンピックで大健闘した。日本の女子は銀メダルだし、日韓の男子はともに4強に残った。自国のサッカーが冴えないのだから、中国人がこれに焼き餅を焼き、過小評価したり無視したりしても仕方がない。げすな僕はそう思ったのだけど、意外にもそうではなかった。例えば、日韓男子の3位決定戦の結果を伝える南寧の地元紙――記事は国営通信社「新華社」からの配信だろうが、韓国が日本に勝ったことの見出しは黒い字で小さい。赤い字の大きな見出しは「アジアサッカーの勝利」である。

記事を読んでいくと、日本と韓国をやたらに褒めている。曰く「技術は双方とも極めて高く、勝者も敗者もない」「銅メダルがいずれに属しても、アジアが輝いた瞬間だった」などなどで、とりわけ日本に対して好意的だ。「日本の87分のゴールが認められていれば、最後まで勝敗は分からなかっただろう」ともある。そして、「我々が日本などに追いつくには、あと5年、10年かかるだろう」と嘆いた後、「もしオリンピックで中国のチームが準決勝に出てくれれば、テレビの解説者は90分間、感激で涙を流し続けるだろう」と結んでいる。

余談ながら、尖閣問題などで中国嫌いの日本人が増えている。でも、こんな記事を読まされると、少し思い直す人が出てくるかも知れない。そう言えば、2年前のサッカーのワールドカップでも中国は蚊帳の外だった。だが、テレビや新聞では、本大会に出た日本、韓国、北朝鮮をライバルと言うより「我らアジアの代表」として応援する報道が目立っていた。公平で謙虚な感じがした。

ところで、そんな公平で謙虚なサッカー観を持ちながら、今の中国サッカーはなぜ冴えないのか。「答え」はそう難しくはないみたい。中国人は一人だと竜のように強いが、集団になると砂のようにもろい――中国人自身が言う言葉だ。「中国人はさもしいから、自分だけの利益になることには熱心だが、みんなの利益のためには働かない」。そう自嘲する人もいる。今度のオリンピックの結果を見ると、なんとなくうなずけてしまう。

山寺に和尚が一人だと、自分で川から天秤棒で水を担いできて飲む。二人だと、一緒に水を担いできて飲む。ただし、その途中では相手にできるだけ重い部分を持たせ、自分は少しでも楽をしようとする。そして和尚が三人だと、誰も自分からは動こうとしないから水が飲めない――これも中国でよく言われるお話で、言わんとするところは、さっきの「竜」「砂」と同じである。

この和尚の話はアニメにもなっている。ただ、「和尚三人」のところが少し違っている。最初はそれぞれそっぽを向いているのだが、山寺が火事になり、消火のために仕方なく三人が協力する。これがきっかけとなって、川からの水汲みも三人が助け合って、という結末になっている。

そうなった時には、中国のサッカーは強くなるのだろうか。逆に言うと、自分だけの利益を求める風潮が中国の社会から影を潜めるのだろうか。つまりはサッカーだけでの話ではなくなってくる。興味深い中国サッカーの将来である。