南国の韓国人たち

南寧の街を歩いていると、韓国語がよく耳に入ってくる。意味は分からないが、韓国語であることだけは分かる。連中が韓国人なのか朝鮮族の中国人なのかも分からないが、漢族や当地に多いチワン族の中国人と比べると、顔つきや雰囲気が明らかに違う。道端ではそんなおばさんたちがキムチを売っていたりする。多分、手製のものだろう。

早朝、わが塾の近くにある広西大学のグラウンドで生徒たちとボールを蹴っていたら、40歳前後の男女が「日本の方ですか」と声を掛けてきた。僕が日本語で怒鳴っているのを耳にしたのだろう。ふたりとも韓国人の顔で「これまでは東京に住んでいました。しばらく南寧にいます」と言う。在日の韓国・朝鮮人かも知れない。目的は聞かなかったが、間違いなく商売がらみだろう。

朝、僕らと同じようにサッカーをやっている連中には朝鮮族中国人や韓国人が目立ち、彼らの住むアパート群がすぐ近くにある。このことは以前にも書いた。下のアパート群がそうで、どれも20階前後である。

このアパート群の中には看板にハングルを使った店がたくさんある。韓国料理のレストランにバー、喫茶店、韓国製品を並べた食料品店、衣料品店、コンビニ、それに旅行代理店・・・4軒、5軒とハングルの店が連なっていたりする。ハングルこそ使っていないが、中国語ではっきりと「韓国」をうたっている店もある。あれやこれや40近くはあろうか。加えて、韓国を示すものが何もなくても、店主らしき男が韓国語で話していたりする。


ハングルの診療所まであったので覗いていると、中から女性が韓国語で話し掛けてきた。「いらっしゃいませ」。キャッチバーじゃあるまいし、医者が呼び込みするなんて笑ってしまうなあ。僕は心の中でつぶやいたが、そう、悪口は口に出さないようにしないといけない。日本語の分かる人が少なくないからだ。

そもそも中国の朝鮮族は20世紀の前半、日本統治下の朝鮮半島から中国東北地方(現満州)に渡って来た人たちの子孫が中心である。現在、その数200万人と言われるが、歴史的な経緯から東北地方に住んでいる人たちが多かった。それがはるばる3000キロ、ベトナムと接するここ広西チワン族自治区まで続々と南下してきている。そこに、韓国人が加わっているようなのだ。実に腰の軽い人たちである。

さっきのアパート群にはこうした人たちが何人くらい住んでいるのだろうか。わが塾の生徒たちに聞きに回ってもらったが、よくは分からない。が、少なくとも数千人はいるのではないかと僕は思っている。その根拠だけど、毎早朝、広西大学のグラウンドに来てサッカーをしたり、トラックを走ったり歩いたりしている朝鮮族中国人や韓国人は(真冬の今は随分と減ったものの)50人や100人はいる。そして、こういう殊勝な連中は仲間50人か100人に1人くらいの割合ではないか。とするならば、100×100なら1万人、50×50なら2500人、従って数千人はいるはずだという大ざっぱな計算である。

うち10人に1人か2人が韓国人、残りが朝鮮族中国人ともハングルの店で聞いたが、これもはっきりとは分からない。もっとも、両者には親類関係も結構あるようだし、最近は韓国で働いたことのある朝鮮族中国人も多いそうだ。両者を強いて区別する必要はあまりないみたい。で、以下は一括して「韓国人」と書くことにする。

僕にはこういう韓国人と付き合いがあるわけではないが、たまに偶然の接触がある。例えば、僕らがサッカーのミニゲームをやっている時、必要なボールは1個だけだから、残った奴はゴールに転がしたままになっている。すると、韓国語の2人の男がそれを勝手に持ち出して蹴っている。こういうのは何も韓国人に限ったことではないだろうが、たくましいと言うか、あつかましいと言うか・・・僕らが帰る時「返してくれ」と言うと、黙って戻してくる。あるいは、「ボールを貸してくれ」と韓国語で言ってきたりする。ボールなしでサッカーの練習に来るなんてどんな神経?とも思うが、あっけらかんとしている。

ところで、商店を経営するほかはどんなことをして食べているのだろうか。わが塾で相棒の中国人の先生は韓国語にも達者なので、朝のサッカーの折などには彼らの会話に耳を傾けている。そして言うには「どうやったら濡れ手で粟の稼ぎができるかといった話をよくしています。マルチがらみの話が多いです」。

そうであるならば、あまり感心したことではない。でも、当地の日本人は数えるほどしかいないのに、韓国人はうじゃうじゃいる。さっきの団地のほかにも1か所、彼らがまとまって住んでいる所がある。しかも、日本人は会社から派遣されてきた人がほとんどだが、彼らは自活している。その身軽さ、たくましさ。マルチは別として、日本人も見習っていいのではと思っている。