「カラス」と「おもてなし」

塾の生徒で、地元南寧の広西大学日本語科4年生の男の子がこの夏、団体旅行で初めて日本に来た。東京の空港に着いた時は、日本に来たという感じはあまりしなかった。空港なんてものはどこの国でもまあ似たり寄ったりだからだろう。

宿舎に向かう途中、道端に大きな動物を見つけた。鳥みたいだけど、鶏かな? 近づいてみると、体長が何十センチもあろうかという、でっかいカラスだった。南寧ではカラスそのものをあまり見掛けないし、たまに見てもずっと小さい。こんなに大きいカラスは初めてだ。彼は「ああ、日本に来たんだな」と感じた。

街の広告版の上に2羽のカラスがとまっていた。その鋭そうな爪と嘴が怖くて、彼は写真さえ撮れなかった。「カラスの鳴き声がしたら、目を離さずにその場を立ち去るようにしてください」という注意書きも見掛けた。これは記念に写真に撮った。

中国やモンゴルでは一般にカラスを見掛けると、あるいは鳴き声を聞くと、何か悪いことの起きる前兆だとされている。ドラマや絵本の中でカラスが鳴きながら飛んで行ったら、あとで悪魔や鬼が出てきたりする。子供の頃、農村で育った中国人女性は「朝、カラスを見掛けたら、母親はいったん開けた窓をまた閉めていました」と言う。「朝、カラスの鳴き声を聞いた祖母は家族に外出を禁じました。しかし、そういうわけにもいかないので、父は裏側の窓から出て働きに行きました。僕もそれを見て、窓から出入りして遊んでいました」。やはり農村育ちの青年の思い出話だ。

中国人のよく使う言葉に「烏鴉嘴」というのがある。あなたの口はカラスと同じで、いいことは言えないとの意味だ。例えば、明日は運動会だと皆が楽しみにしているのに「雨が降るかも知れない」と言ったり、恋人同士を見て「将来もうまくやっていけるのかなあ」と言ったりする人のことだ。

ついでに、韓国人はどうかと思って聞いてみたら、よく物忘れする人を嘲って「カラスの肉でも食べたのか」、思わぬ疑いを掛けられることを「カラスが飛び立つや否やナシが落ちる」と言ったりするらしい。中国人と同じようにカラスは好きではないようだ。

ちなみに、カラスとは反対に中国で吉兆とされているのは、同じカラス科のカササギである。墓参りに行った折、カササギが墓の上にいたら、これ以上めでたいことはない。逆にカラスがいたら、みんなで追い出し、新しい土で墓を埋め直す。そんな話も聞いた。

話は日本に戻り、こんな嫌われ者に東京では実によく出くわす。中国人から「なんでこんなに多いのか」と尋ねられる。そんな時、僕は「中国と違って日本では人とカラスはおおむね親しい関係なんです。カラスを詠った童謡もあります」と適当に答えてきた。日本サッカー協会のエンブレムも3本足のカラスである。中国でも満州族はカラスを神様のように敬ってきたという。でも、実は僕もカラスがあまり好きではない。日本でも1羽だけで空を飛んでいるカラスはよくないことの前兆だと、ご老体から聞かされた。

ところで、カラスに驚いた冒頭の男の子が日本に悪印象を抱いて中国に戻って行ったわけではない。それどころか、彼は胃腸が弱いのに、日本では何を食べても、自販機のどんなに冷たい飲み物を口にしても、おなかを壊すことが全くなかった。ああ、日本は食の天国です、日本に留学する決意を固めました・・・帰国後、そうメールで伝えてきた。こんなに環境がいいのだから、大きなカラスが増えるのも当然でしょう、と理解を示してくれている。

過去の新聞記事などを調べてみると、同じ大都市でも東京はカラスが多く、大阪は少ない。東京では飲食店から夜遅くに出る残飯を明るくなってから回収するが、大阪は夜明け前に回収している。そのため、東京ではカラスに残飯を襲われるが、大阪ではそうではない。それが大きな理由だそうだ。僕も昔、会社勤めの頃、朝方まで飲み屋を梯子することがあったが、明け方の東京・銀座をうろついていてカラスの大群に出くわし、恐怖心すら覚えたことを思い出した。

東京在住の中国人から「明け方、カラスの鳴き声で起こされるのが一番不愉快です。寝不足にもなるし・・・」と訴えられた。さて、2020年は「おもてなし」をキャッチフレーズにした東京オリンピックである。中国人ほかの海外の客人が東京のでっかいカラスに遭遇してどう感じるだろうか。カラスの接待に喜ぶ客人はまずいないだろう。カラスに恨みがあるわけではないけれど、オリンピックまでに出来るだけ退散していただくことだ。こんなに連中が多いのは「おもてなし」の精神にも反するのではないだろうか。