生者にとっての「善い死者」と「悪い死者」

中国の農村に年老いた母をひとり残し、国の内外を飛び回っている男がいた。結構稼いでいるのに、ろくに仕送りもしない。老母は貧窮のうちに亡くなった。

母親の死後、男の態度は一変した。葬儀は丁重かつ盛大におこなった。荒れ果てていた墓も修復し、生い茂っていた雑草は奇麗に刈り取った。墓前にはたくさんの供物を並べた。爆竹を鳴らしたり、「紙銭」を盛大に焼いたりもした。紙銭とはこの世で流通している奴とは違って、あの世で使われている高額紙幣のこと。ありていに言えば偽の紙幣だが、これを墓前で焼いて故人に届けるのが中国の風習だ。男は紙銭だけではなく、紙で作った豪邸から高級乗用車、テレビ、冷蔵庫などの家財も焼いて亡き母に届けた。

男の知人は彼がこれまでの行為を深く反省してのことだと思った。そして、感心していることを男に伝えると、彼はこともなげに言った。「いやあ、お袋は俺を怨みながら死んでいったに違いないんだ。だから、幽霊になって出てきて、俺を困らせるかも知れない。それが嫌だから、いま精一杯、お袋のご機嫌取りをしているんだよ」。確かに反省はしているのだが、その動機は全く別のところにあった。

以上は中国人の知人に聞いた話だが、僕自身もハルビンにいた頃、似たようなことを聞いた。個人的に日本語を教えていた20歳過ぎの男の子が「清明節」の頃、「高校時代に亡くなった父親の墓参りに親戚中が押し寄せてくる。案内に忙しくて仕方がない」とぼやいていた。清明節とは旧暦の24節気のひとつで、4月初めの祝日。人々は墓参りをしたり、春の野山で遊んだりする。墓参りに関して言えば、日本のお彼岸やお盆に似ている。

で、この男の子によると、父親はもともと病弱で、仕事もまともに出来なかった。母親が裁縫で生活を支えていた。そのせいで、親戚中からいじめられていた。だが、その死後、父親が幽霊になって親戚に仕返しをしては困るというので、親戚一同が熱心に墓参りをするようになった。これもご機嫌取りである。

中国ではこんなふうに死者を恐れる光景に出くわすことがちょくちょくある。「活着不孝 死了乱叫」という言葉がある。「生きている間は粗末に扱い、死んだら泣き叫ぶ」といった意味だ。そんな勝手な人たちへの皮肉だが、ここまでのふたりの死者は、生者にとっての「悪い死者」といったところだろう。

もっと悪い死者もいる。わが東方語言塾の生徒の友人がシャワー中、ガスの不完全燃焼で亡くなった。高校時代の同級生で25歳の女性。病院で死亡が確認されると、遺体はそのまま遠く離れた荒野に運ばれ、土を掘り起こして捨てるように埋められた。葬儀も何もない。墓碑さえなく、土盛りがしてあるだけだった。

亡くなった女性の家族が悲しんでいないわけではない。母親は泣き暮らしているし、兄はガス会社を訴えると息巻いている。しかし、この地の風習で、不慮の死を遂げたものと生者とは関わってはならない。

女性の友人だったわが塾の生徒によると、人が年を取って自然に亡くなった場合、ちゃんと葬式をやってあげれば、年寄りはあの世に行って家族を見守ってくれる。言わば、生者にとっての「善い死者」である。ところが、不慮の事故で亡くなった人はいつまで経ってもあの世に行けない。幽霊になってこの世に残り、ずっと苦しんでいる。そして、生きている人たちまで苦しませる。だから、そんな横死に関わってはいけない。もし関わってしまったら自分が不幸になる。葬式をやるなんて、とんでもないことなのだそうだ。

さっきの女性が亡くなったのは春節旧正月)の頃。塾の生徒は高校時代の友人たちと連れ立って墓参りに出掛けた。たとえ悪い死者であろうと、そんな迷信は自分たちには関係がない。墓とはとても言えない土盛りのあたりには、燃え切っていない彼女の服が散乱していた。帰ると母親からきつく叱られた。「あなたはもうすぐ卒業、就職なのに、お正月にそんな人の墓参りをするなんて縁起でもない。知ってたら絶対に行かせなかったのに・・・」。母親から魔除けの儀式をさせられた。ちなみに、ガス中毒で死んだ女性が墓碑を建ててもらえるのは、彼女の兄が結婚して子供ができ、かつその子が成人してからだそうだ。

もちろん、広い中国のこと、土地によって風習、風俗は随分と違うだろう。だが、一般的に生者の死者に対する感覚は日本人とはかなり異なっている。また、生者が死者を恐れるということは、両者のつながりが強いからだとも言える。それはそれとして死者にすれば、自分には責任がないのに、生者から勝手に悪い死者にされてはたまったものではない。そのせいだろう、「能死多好」という言葉もあるそうだ。人は死に方によって人生が評価されたり、家族に迷惑を掛けたりする。だから、少し意訳すれば「死ぬことが自由であればいいのに」あるいは「死に方が大切」といった意味であろうか。