「年賀状と喪中はがき」に見る「人生いろいろ」

ちょうど1年前、儀礼的なものも多い年賀状や喪中はがきの中で、興味をそそられたものを話題にし、この欄に書いた。この年末年始にも、そんなのが結構あった。で、今回は去年のブログの続編である。

1年前、「健脚」で「鉄人」のようだった「歩き」の仲間が90歳になり、「耳が遠くなりました」「階段の昇降が困難になりました」「1キロも歩けません。速度は幼稚園児並みです」とぼやきながら、「たった一つ、背筋が伸びていると褒められます」「何もかも衰えましたが、持病だけが勝手に進んでいます」と、ユーモアたっぷりに送ってくれた年賀状を紹介した。元海上保安官である。

今年はどんな年賀状が来るのか、と待ち構えていたら、さすがである。期待?に背かなかった。冒頭、「高齢になると想像していなかったことが起こります。背骨関節の摩耗のため、身長が4センチほど小さくなりました」とある。ご本人は「信じられません。全くの想定外でした」とのことだが、残念ながら、これはよく聞く話でもある。

5年ほど前に105歳で亡くなった医師の日野原重明さんは、いつの頃かは忘れてしまったが、「背が8センチも縮んだ」と、どこかに書いておられた。僕が時々行く近所の整形外科医も「背が縮んで、以前のズボンがはけなくなった」とぼやいておられる。80歳代半ばだろうか。かく言う僕もその類で、最近は身長の測定を避けている。

元鉄人に話を戻すと、もう一つの想定外は「心臓の弁がすり減る心臓弁膜症」で、「薬は効きません。高齢につき手術ができません。この病気に引きずられて、三途の川を渡ることになりそうです」とのことだ。耳もさらに遠くなっておられるようで、「留守番をしているのに、宅配便の不在通知が度々入っています」。失礼ながら、思わず笑ってしまう。そして「以上が体験した90歳の壁です。こんな壁、経験しないほうが良いですね。バイパスしてください」と結んであった。

そうかと思えば、同じ年頃なのに、やたらに元気いっぱいの人もいる。この夏、88歳の米寿になるという新聞社時代の先輩で、今も現役の「科学ジャーナリスト」を名乗っている。いわく「還暦、古希、喜寿などは淡々と通り過ぎたのに、山のかなたに目が向いてしまうのです。日本人の平均寿命をクリアしたからに違いありません」。つまり、まだまだ長生きしてやるぞというのだ。

「順調なら卒寿、白寿を経て三桁に上がり、茶寿に行き着きます。草かんむりを十と十、下の部分を八十八と読んで合算すれば百八つ。たとえ無理なこじつけでも、待ってくれているのなら、行ってみましょうか」。そして、1日おきに「坂道速歩8000歩」を続けているとのこと。僕は今年の年賀状に「1日平均の歩き2万歩以上、階段上り20階以上」を日課としていると書いたが、所詮はのろのろ歩き。先輩にはかなわないようだ。

一方、喪中はがきは、以前は年賀状をやり取りしている相手の親が亡くなったとかいうのが多かったが、最近は当のご本人が亡くなったとの知らせが増えてきた。1年前にこの欄で紹介した新聞社時代の後輩もそうだ。新しい舌癌が見つかり、食べるのとしゃべるのが不自由になったが、ゴルフを年に20回やっている、と年賀状に書いてあった。ところが、その彼から来るはずの今年の年賀状は、夫人からの喪中はがきに姿を変えていた。

僕の小学校時代の同級生で、ずっと年賀状を交換してきた「元女の子」が3人いる。そのうちの1人はお子さんからの喪中はがきが届いた。あとの2人は年賀状が来ない。心配していたら、1人からは弟が亡くなったので失礼したとのメールが来たが、もう1人からはまだ音沙汰がない。そのうちに寒中見舞いを出して、近況を尋ねてみるつもりだ。

年賀状が来ても、ちょっと気になることもある。新聞社時代の10年先輩で、欠かさず年賀状をくれる人がいる。コロナ禍の前は年に1回、泊まりがけでマージャンをしていた。この人の年賀状はいつも素っ気なく、どこかで買ってきた印刷だけのものだ。ただ、宛名書きだけは自筆である。今年、それを見た途端、やや違和感を覚え、去年の年賀状を出してみた。今年の字は去年に比べ、少し揺らいでいる。90歳という年齢のせいだろうか。

もう1人、かつて新聞社時代に出入りしていた飲み屋の女将で、やはり欠かさず年賀状の届く人がいる。彼女はある時、店を閉めて中国ハルビンに渡り、大学でお花を教えながら、中国語の勉強をしていた。僕が新聞社を定年で辞めて、ハルビンの大学に行こうとしていた折には、すでに日本に戻って来ていて、中国での生活のノウハウを教えてもらった。

その彼女は今、房総半島の南端に住んでいるが、体調がよくないようだ。一昨年の年賀状には「都心のデパートに行ったのに、疲れて中に入れませんでした」、昨年は「目を悪くしました。ブドウ膜炎です」と書き添えてあった。ところが、今年は印刷の「謹賀新年」だけ。一筆書き足す気力さえ出てこなかったのだろうか。

僕にとって年賀状は、以前は「無事」や「異動」を知らせ合うものだった。だけど、最近はそれに加えて「老」や「病」、そして喪中はがきでご本人の「死」を知らせてもらうものになってきた。そうだ、今のうちに僕の喪中はがきを用意しておこうか。本人からの喪中はがきなんて、そうはないだろう。そして「名文」でみんなを感心させてやりたい。