台湾人の「洒落」「ユーモア」

第二次世界大戦の後、中国では蒋介石が率いる国民党と、毛沢東が率いる共産党が主導権を巡って戦った。いわゆる「第二次国共内戦」で、勝った共産党が「中華人民共和国」をつくり、敗れた国民党は台湾に逃れて、それまで通り「中華民国」と称してきた。その総統だった蒋介石と妻の宋美齢との住まいが台北の観光地のひとつになっている。

観光地だから当然、土産物屋がある。土産物の中には蒋介石宋美齢の人形があった。高さ8センチほどの焼き物だ。毛沢東の人形もある。しかも、蒋介石毛沢東のセットでも売っている。敵同士のはずだけど、一時は一緒に日本軍と戦った仲である。セット販売も不自然ではない。台湾でも中国でも尊敬されている孫文孫中山)の人形はもちろんあるし、中国側では訒小平江沢民がいる。立像のほかに、なぜかスクーターに乗っている像もある。台湾側では最近まで総統だった馬英九がいる。

数々の人形の中で、とりわけ人相のいいのが、写真の人物である。値段は300元(日本円で1100円ほど)。これ、誰? 売り場の女性に聞くと、習近平だと言う。中国の共産党総書記にして国家主席である。台湾の総統が中国に距離を置く蔡英文になってから、習近平は何かと台湾に嫌がらせをしている。台湾にとっては、あまり好きな男ではないだろうし、新聞やテレビで見る彼の顔はなんとなくふてぶてしい。なのに、これはまたなんと穏やかな顔をしていることか。でも、台湾人にはそうは売れないだろう。中国人の観光客が買っていくのだろうか。写真を撮りたいが、「撮影お断り」とあるので、仕方なく買ってしまった。

台湾の「国父」でもある孫文には「国立国父紀念館」が設けられている。その立派な建物の前を歩いていると、「愛犬黄金屋」と称した写真のような箱が目に入った。「愛犬の糞入れ」である。写真には写っていないが、この糞入れの上にビニール袋が束になって下がっていて、「狗便袋 請節約使用」とある。「狗」は「犬」である。節約して使って下さいとのことだが、黙って1枚、頂戴してきた。ビニール袋は幅15センチ、長さ40センチほど、犬の糞がかなり入りそうだ。。

台北でも、犬を連れて散歩している人をかなり見かけた。だが、犬の糞をビニール袋に入れている人はいなかった。街中で犬が何をしても、飼い主はそ知らぬ顔である。そもそも、日本のように「ビニール袋とスコップ」を下げたりはしていない。ついては、台湾でも愛犬の糞をビニール袋に入れる習慣を身につけてもらおう、そのためには、その糞を自宅に持ち帰らなくてもいい、とりあえずは国父紀念館で面倒を見ましょう――それが「愛犬黄金屋」の狙いであろうか。その黄金屋を開けてみたが、たまたまだったのか、犬の糞は入っていなかった。

前回に書いた旧移民村のお寺で、写真の鉢巻を売っていた。200元、日本円で700円ちょっとだ。安くはない。鮮やかな日の丸が描かれている。下宿先に持ち帰り、奥さんに見せたら、「ああ、これ、受験前には塾の生徒たちがおでこに巻いてますよ」と言う。えっ、でも、これって日の丸ですよ、台湾の人がこんなもの、巻くんですか? そう聞き返したが、奥さんは「ええ、そうですよ」と屈託がない。本当のところはどうなのかは、調べる暇がなかった。

街中の市場で、写真のような玩具の1万円札を売っていた。100枚の束が20元(70円余り)。思わず買ってしまった。玩具とは言っても、けっこう精巧にできている。本物と比べると、紙の質は落ちるものの、幅は全く同じ、上下がやや狭いが、福沢諭吉や裏面の鳳凰の像は本物をそのまま写している。「壱万円」「NIPPON GINKO」の表記もそっくりだ。ただ「日本銀行」「日本銀行券」のところが「冥土銀行」「冥土銀行券」となっていて、玩具であることは明らかだが、暗闇で使えば通用しそうでもある。台湾の1000元札、大陸中国の100元札、米国の100ドル札も「そっくりさん」が並んでいた。

台湾や大陸中国では、冥土にいる先祖がおカネに困らないようにと、玩具のお札を燃やす風習がある。ただ、僕が見てきた限りでは、大陸での玩具のお札は額面もずうたいも馬鹿でかく、一見してそうと分かるものだった。台湾に来て初めてそっくりさん、それも各国のお札を見た。先祖に海外旅行をさせてあげようということだろうか。そして、その際にはドル札の人気が一番とのことだった。

「100万円」をポケットに入れて歩いていると、布団をかぶって道路に横たわる乞食に出会った。病気なのだろうか。ここは中国の歴史上の英雄関羽を祭る「関帝廟」の近くである。参拝客が絶えない。それに倣ったのだろうか、乞食は枕元に花を活け、自分にもお参りしてくれと言わんばかりである。しばらく眺めていると、乞食はときどき布団から精悍な顔をのぞかせ、枕もとの缶に入ったカネを確かめていた。

例の100万円を進呈しようかとも考えたが、洒落だと思ってくれるかどうか。大騒動にもなりかねないのであきらめた。今も心残りである。(文中敬称略)