台湾独立運動と日本

去年から今年にかけて台北にいたときには毎日2時間、3時間と街中を歩き回った。そんなある週末、東京で言えば浅草、大阪で言えば新世界といった感じの街「西門」にいると、高さ5〜6メートルはありそうなのぼりを、それぞれ1本ずつ担いだ4人の中年男が静かにそばを通り過ぎた。

のぼりには「台湾独立」と大書してある。台湾独立運動については新聞などでいくらかは読んできたが、「現物」を見るのは初めてだ。ちょっと興奮してあわててカメラを向けると、男のひとりが僕を見て親指を立てた。僕も思わず親指を立てて応えた。

のぼりの「台湾独立」の脇には「台湾人中国人都是人」(台湾人も中国人もみんな人間である)、「尊重做人的基本人権」(それぞれの基本的人権を尊重しよう)と、少し小さな字で書いてある。

あたりには、ちょっとした広場があり、そこには「台湾自決」と大書した別ののぼりも何本か立っていた。「台湾自決」の脇には「四百年来第一声」「建立台湾新国家」と、やはり少し小さな字で書いてある。「四百年・・・」というのは、台湾が歴史に登場して400年になる、そのなかでの「第一声」、つまり初めて独立の声を上げたという意味のようだ。

下宿に戻って奥さんに聞くと、この西門あたりが独立運動のたまり場のようで、毎週末にはのぼりが立ち並ぶとか。ただ、大声が響くわけではなかった。のぼりがあるだけで、周りはいたって静かである。

台湾独立運動について、僕はこれまでほとんど知らなかった。そもそも台湾についても(1)「中華民国」と称してはいるが、日本、米国ほか世界の多くの国から「国家」とは認められておらず、国連にも加入できないこと、(2)第2次世界大戦後、毛沢東が率いる中国共産党との内戦に敗れて台湾に逃れた蒋介石蒋経国親子の「国民党」が長く中華民国を支配してきたが、近年は独立志向の「民進党」が国民党から政権を奪ったりしていること、(3)1年前に再び、国民党に代わって政権についた民進党を嫌う中国の習近平政権が何かと台湾に嫌がらせをしていること――その程度しか知らなかった。

もう少し勉強してみよう。ネットで調べたら、東京・新宿に「台湾独立建国連盟日本本部」というのがある。なんで、台湾独立に「日本本部」が必要なの? そう疑問に思いながら、ある日、番地を頼りに尋ねてみた。ややくすんだ、小さなビルの中にそれはあった。出てきた年配の男性に「台湾独立運動について勉強したいので、何か適当な資料はありませんか」と聞いたら、「じゃあ、これでも読んで」と1冊の本をくれた。

『台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂』と題した350ページほどの本で、彼が残した口述録音の日本語訳とのこと。経歴を見ると、2011年に79歳で亡くなるまで、16年にわたって「台湾独立建国連盟」(台北)の主席だった人である。

読み進むと、知らなかったことがたくさん出てくる。彼らが目指す独立国家は、かつては「反攻大陸」を目指していた国民党の「中華民国」とは別もので、台湾に住む2300余万人の台湾人で新しい民主主義国家を作り、世界中から「国家」として認めてもらおうというものだ。

ちなみに、台湾人2300余万人とひと口に言っても、いくつかに分かれる。つまり、もともと台湾に住んでいた「先住民族」、17世紀ごろに大陸南方の福建省などから渡ってきた人たちの子孫にあたる「本省人」、それに、第2次世界大戦後に蒋介石とともに大陸から移住してきた「外省人」である。本省人の中には、漢族ながら独自の言語や慣習を持つ「客家」も含まれるが、これら本省人が全体のおよそ85パーセントを占めている。ただ、それぞれの間で混血も進み、境目はぼやけてきているという。

ところで、本省人黄昭堂さんは1958年、留学のため妻とともに来日し、東京大学大学院に入る。そして60年、台湾独立建国連盟日本本部の前身「台湾青年社」の創設に参加し、雑誌を発行して台湾独立への啓蒙活動を始める。こうした独立運動はもっぱら日本で行われていたが、それはもし台湾でやったら、「反乱罪」としてたちまち国民党政権に捕まってしまうからだった。

来日4年目、パスポートの期限が切れるので、東京の中華民国大使館に更新に出向くと、更新どころか、パスポートを没収されてしまった。台湾独立運動に関わっているからだったが、パスポートがなければ、日本にいることができない。

困って日本の入国管理局に相談に行くと、係官が中華民国大使館と電話で掛け合ってくれたが、どうにもならない。すると、係官は「留学している限り毎年、1年間の特別居住許可証を発行する」と言ってくれた。上司に相談したわけでもなく、彼の即断即決だった。その恵みにあずかった仲間はほかにもいた。

1975年に蒋介石総統が、88年には息子の蒋経国総統が亡くなり、李登輝副総統があとを継いだ。彼は客家である。第2次世界大戦後に大陸からやってきた蒋介石蒋経国親子とは肌合いも違うだろう。

李総統のもとで台湾の民主化が進んだ。1992年には、日本で独立運動に携わっていた者にも帰国が許された。台湾独立運動は50年代に日本で始まり、後年、本部は米国に置かれていたが、独立運動家が自由に帰国できるようになってからは、本部も台湾に移った。そして、34年ぶりに帰国した黄昭堂さんが95年、台湾独立建国連盟の主席になった。

この6月はじめ、台湾意識や独立意識が強いと言われる在日の台湾人組織17団体によって「全日本台湾連合会」が発足した。台湾独立建国連盟日本本部も参加した。ほかには在日台湾同郷会、在日台湾婦女会、日本台湾医師連合といった組織が加わっている。民進党政権の蔡英文総統からは祝電が届いた。台湾独立を目指したひとつの動きだろう。

もちろん、台湾独立に対しては、台湾を中国の不可分の領土だとする中国共産党が強く反対している。独立の動きが現実味を帯びてくれば、死に物狂いで阻止しようとするだろう。一筋縄でいく話ではない。

一方で、僕が台北にいたときの下宿の奥さんは「台湾人の30パーセントが独立に賛成でしょう」と言う。彼女と夫はともに客家である。また、台湾に長く住む日本人のホテル経営者は「私の見聞きした感じでは、そんなに少なくはないはず」と話す。黄昭堂さんは本の中で「賛成者は50パーセント」と書いている。

「台湾はすでに独立した国家だから、今さら独立する必要はない」という李登輝元総統の言葉もある。「中華民国」から例えば「台湾共和国」に名前を変えさえすればいい、ということなのだろうか。何か深謀遠慮がありそうである。

台湾独立運動がこれからどう転んでいくのか、僕が生きているうちに「ドラマ」を見てみたいものである。