施設での介護は「老老」で

僕は1年ほど前に「介護職員初任者研修」を受けて合格し、介護の現場で働く資格を手にした。そこで、介護の仕事があったら働いてみたいものと思い、折に触れ探しているが、いまだに見つからない。

介護施設の職員募集広告を見ると、資格なしでもOKと書いてあるところも多い。それだけ現場では人手が足りないのだ。それなのに、資格のある僕はお呼びでない。それはひとえに年齢のせいである。僕のような後期高齢者は施設に勤めて利用者を介護「する」ほうではなくて、もっぱら施設の利用者つまり介護「される」ほうと見なされているのだ。

でも、僕にはまだまだ介護「する」力があると思う。昨年、資格を取ってから1日だけだったけど、認知症の人たちの「グループホーム」で実習をした。その折の経験から言うと、排泄や入浴の世話はまだまだ練習が必要だが、そのほかのことはなんとかできそうである。

たとえば、食後の食器洗い。実習の折にも僕が担当したが、これこそ、もう60年来の僕の得意技である。学生時代のサッカー部の合宿では、もっぱら僕の仕事だった。何十人分でも、まったく苦にならないし、楽しいくらいである。

食事を作るのは、食器洗いに比べれば、いささか苦手である。でも、カレーなら、20人分、30人分でも一挙に作れる。しかも、中国ではこれが教え子たちの間で大好評だった。いまも「先生のカレーが食べたい」との声が届く。余ったご飯でおにぎりを作るのも、学生時代の合宿から続く僕の得意技のひとつである。

実習の折には、5人の女性と百人一首坊主めくりを延々とやった。これも僕には苦にならなかった。グループホームでは、一緒に散歩に出かけることもよくあるそうだ。僕が実習した日には、散歩は1人だけで、僕にはお声がかからなかったが、それにお付き合いするのも決して嫌ではない。

百歩譲って後期高齢者の僕が採用を断られるのは、まあ仕方がないとしよう。一見、元気そうに見えても、何かの折に突然、倒れられたりしたら、施設側も困るだろう。だが、僕よりも一回り以上も若い60歳でも断られてしまう。各地に多くの介護施設を持つ大手のニチイ学館やベネッセに尋ねてみたら、はっきりとは言わないが「60歳以上はちょっと・・・」と言葉を濁される。

調べてみると、若い頃からずっと介護施設で働き続け、現在は60歳代という人も割合にいる。だが、基本は介護はできるだけ若くて元気な連中でということらしい。でも、60歳未満の人たちに限るというのは、将来を考えたら、ちょっと了見が狭くはないだろうか。

「2025年問題」というのがある。「2025年ショック」とも言われる。日本では第2次世界大戦後、結婚と出産がどっと増え、1947年から49年ごろに生まれた約800万人は「ベビーブーム世代」とか「団塊の世代」と呼ばれてきた。この世代がみんな、2025年には後期高齢者となり、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という超高齢化社会になる。

そうなると当然、介護の必要な人たちがどっと増えるだろう。財源をどうするかも大問題だが、介護に当たる人手をどう確保するかがもっと深刻ではないだろうか。その有効な解決策の1つは60歳以上、あるいは65歳以上、75歳以上でも、元気な人たちにはどんどん介護の現場で働いてもらうことではないか。いわば「老老介護」である。

普通、「老老介護」と言うと、家庭の中で、前期高齢者の子供が後期高齢者の親を介護している、あるいは、介護するほうもされるほうも後期高齢者といった光景が目に浮かぶ。どこか悲惨である。でも、介護施設で元気いっぱいの前期高齢者、後期高齢者が介護側に回っていても、少しもそんな感じはないだろう。

僕は以前、このブログで、陸上自衛隊あたりには元気な65歳以上による「シルバー軍隊」を設けてはどうかと提案したことがある。半分冗談、つまり半分は本気だった。まず、まだまだ働きたい人たちに職を与えることができる。そして毎日、体を鍛えながら規則正しい生活をするわけだから、ますます元気になる。医療費が大いに助かる。皆さん、多かれ少なかれ年金をもらっているだろうから、給料は安くてもいい。人件費の面でも助かる。

介護施設でも65歳以上を介護職員としておおっぴらに雇うべきではないだろうか。自衛隊でのような規則正しい生活はちょっと無理だけど、全体としてシルバー軍隊と似た効用があるのではないか。

半分冗談、半分本気ではない。これはひとつ、まじめに本気で考える必要がある。