わが「詐欺」商売

わが塾に大学1年生の女の子が「日本語を習いたい。卒業まで続けて日本語能力試験の1級を取るつもりです」と言ってやってきた。南寧からちょっと離れた町の出身だ。大学での学院(日本で言う学部)は日本語とは関係がないが、もともとは日本語を専攻したかった、でも、周囲の反対でやむなく今の学院に入ったのだと言う。当方としては願ってもない生徒だ。もっとも、いかにもこちらの人らしくなかなかに慎重で、2回、3回とやってきては授業の中身などを聞いていく。そして4回目にやっと「ここで勉強することにしました。両親から授業料をもらってきます」と言って帰っていった。

ところが、どうも雲行きがあやしい。両親が反対しているらしい。しばらくして彼女は父親と一緒にやってきた。父親は元教師で今は何かの商売をしているそうだが、最初からけんか腰だ。わが塾は立派な校舎を構えているわけではなく、アパートの部屋を借りてやっている。それも気に食わないみたいだ。「こんなところで勉強して何になるんだ。どんな卒業証書が出せるんだ。あんたらは大事な一人娘を口車に乗せてだまそうとしている」。一方的に怒鳴りまくる。

もちろん、中国語のできない僕にこんな男の相手ができるわけがない。もっぱら同僚の中国人の先生や、僕が「師範代」と名づけている古手の生徒が相手してくれている。彼女たちもさぞかし腹が立ったことだろうが、娘が横からしきりに目配せする。「我慢してくれ」ということらしい。父親は娘を引き立てるようにして帰って行ったが、後で彼女が言うには「父の失礼を許してください。父はこれまで商売で何度も煮え湯を飲まされてきたので、授業料のような目に見えないものにカネを出すのが怖くて仕方がないのです」。娘の方がよっぽど人間ができている。

翌日は母親がやってきた。小学校の教師だそうで、「あんたたちがどんな連中かを見に来た」と前置きして「なんで娘を誘惑するのか」「詐欺だ」なぞと、父親以上にひどい言葉で怒鳴り続ける。全く話が通じない。娘がやはりそばで目配せしている。

その日の夜、今度は娘と両親の3人が一緒にやってきた。どんな経緯を経たかは知らないが、どうやら一人娘の説得が功を奏したらしい。両親は「賭博で損をしたつもりでカネを払う」と、さんざん嫌みを言いながら授業料を置いていった。

この両親の気持ちも分からないではない。人をだます、だまされる。生き馬の目を抜くこの地では、そんな話がやたらと多い。いわゆる詐欺師に限らず、市場で野菜などを売っている、人のよさそうなおばさんたちだって「必ず量をごまかします」と、わが塾の生徒たちは言う。授業料を払ったら塾はそのままどろんしてしまうのではないか。そこまではしなくても、まじめに教えないのではないか。両親はそう心配したのだろう。新しく生徒が来てくれるのはありがたいが、授業料を頂くまでが大変である。

桂林でもそれには苦労したが、かの地では「もうひとりを授業に連れてきて横で黙って聞かせるから、その分の授業料はただにしろ」とか「3人で通うが、いつも3人ではなく1人は休んだりする。だから、授業料は2人分にしろ」とか、変な理屈で値切る人がいた。

ところが、南寧では授業料や授業時間について了解し、本人も授業に出てきているのに、なかなか払ってもらえないことがちょくちょくある。「銀行カードを忘れて」とか「銀行に行く暇がなくて」とかおっしゃるのだが、どうもこちらを信用してくれていないみたい。明らかにポケットに現金がありそうなのに出そうとはしないのもいる。さっきの両親のように「授業料を払ってしまうのが怖い。詐欺に遭うかも知れない」といった気持ちがありありなのだ。でも、当方もこのままずるずるでは困ってしまう。

ある日、師範代のひとりが「一緒に銀行に行って授業料をもらってきました」と、僕にカネを届けに来た。一緒に銀行に行った? 不思議に思って尋ねると、相手が「銀行に行く暇がない」と言うので、「じゃあ、今から私と一緒に行きましょう。下ろしたおカネをその場で私に渡せば、途中で盗まれる心配もないし安心でしょ?」と言って、銀行まで付いて行ったのだと言う。おい、それは「付け馬」って言うんだぞ!! 昔、遊興費の不払い分、不足分を取るため、客の家まで付いて行った人をこう呼ぶのだが、こいつにそっくりではないか。聞いてみると、この付け馬方式――ひとりではなく何人かに用いて成功?しているのだと言う。

幸いなことに、さっきの一人娘といい、付け馬方式で授業料を頂いた何人かといい、今のところは機嫌よく塾に通ってきてくれているようである。