偽札と生きる

わが塾で日本語を習い始めた二十歳前の女の子二人が泣きだした。二人は塾の近くの文房具店で一緒に働いている。聞けば、わずか1か月の間に客から3枚もの偽の100元札(1元≒13円)をつかまされ、その分を給料から差し引かれてしまったのだそうだ。100元札は中国の最高額のお札だ。

騙された場合の一つは、若くてハンサムな男が文房具8元分を買い、100元札を差し出した。かねがね店の経営者からは「偽札には気をつけるように」と言われている。一応チェックしたが、本物のようだ。おつりの92元を渡した。ところが、店を出る時に男の見せた表情がどうもおかしい。100元札をもう一度、触ってみると偽札らしい。あわてて男を捕まえようとしたが、間一髪、スクーターで走り去ってしまった。振り向きながら男はニヤニヤ笑っている。あと二つの場合は、店の経営者に指摘されるまで、偽札であることに気づかなかった。やはり若くてハンサムな男が「いつ桂林に出てきたの?」などと話しかけてきて、ちょっと上気したのを覚えている。

彼女たちの給料は1日20元、月に25日働いても500元にしかならない。なのに、友達と共同で借りているひと部屋のアパートの家賃150元に加えて、わが塾へ払う授業料もある。食べていくだけでも大変だ。そこへ、一人が100元、もう一人が200元、偽札を受け取ってしまった。「罰金」を引かれると・・・まったく哀れを誘う。なんとか助けてやりたくなる。

ところが、この話を聞いた周りの塾生たちの反応は意外に冷ややかだ。なんで偽札なんかをつかませられたの? 簡単に見分けられるのに・・・といった感じなのだ。いや、僕も偽札の見分け方を知らない。かわいそうな女の子から譲り受けた偽札も本物としか思えない。で、教えを請うと、100元札の場合、一番ポピュラーな見分け方は肖像画毛沢東氏の左肩を指でこすってみるのだそうだ。本物の場合は少しザラザラしているが、偽札はツルツルしているとか。試してみると、確かにそうだ。スーパーなどで100元札を渡した時も、レジの女性はおおむねそうしている。なんで毛沢東氏の肩をマッサージしているのか、不思議だったが、これでやっとなぞが解けた。

「こんな偽札発見器もあります」と、生徒の一人が小指大の懐中電灯のようなものを譲ってくれた。100元札の中央上部には「100」という数字がすかしで入っている。これをこの偽札発見器で照らすと、「100」が蛍光色で鮮やかに浮かび上がる。ところが、偽札だと、色がにごっている。偽札発見器は街中で2元、3元で売っているそうだ。偽札のおかげで変なものが商売の種になっている。

中国のお札は、数年前に新しくなったものにはすべて毛沢東氏の同じ肖像画が使われている。100元のほか50元、20元、10元、5元に1元がある。大手銀行に勤めている生徒に聞くと、5元札にまで偽札が登場しているそうだ。
ことほどさようにこの国では偽札が多いが、中国人民銀行日本銀行にあたる)も決して手をこまねいているわけではない。「偽札発見法」といったパンフレットを大量に作って、各銀行の店頭に置いたりしている。これを見ると、100元札の場合、本物か偽物かのチェックポイントは10ほどある。左下にある緑色の「100」の数字を、傾けて見ると青色に変化するというのもある。中国のお札は日本のものに比べて粗雑だと思っていたが、なかなかに精巧である。100元札は記号が「HD90」などで始まるものに偽札が多い、50元札は・・・、10元札は・・・といった情報も流されている。

いかに偽札が精巧にできていても、これだけのチェックポイントが公表されているのだ。百貨店、スーパー、レストランなどで100元札、50元札を出すと、こちらが少し不愉快になるぐらい、レジでいちいちチェックされる。偽造団もそう簡単には偽札を使えないはずだ。それなのに、偽札があふれている。どうしてだろう? それはどうやら、悪者たちが「チェック能力」の弱そうな人たちを狙って偽札をばらまいているからのようだ。

件の女の子二人はレジの仕事は初めてで、偽札の見分け方に慣れていなかった。人づてに聞いた話だけど、田舎から出てきた若い女性二人が、わが塾からそう遠くない所で花屋を開いた。「花屋」と言っても、商店の一隅を借りただけのもので、開業資金は1000元、二人がなけなしのカネを出し合った。ところが、数日の間に偽の100元札を5枚もつかまされ、店はあっけなくつぶれてしまった。チェック能力の低そうな店員を探して、偽札偽造団の連中が街をうろついているという話も聞いた。

ところで、わが塾にとってちょっと心配なのは、生徒たちから頂く授業料に偽札がもし混じっていたら、どうしようかということだ。多分、悪気からではないだろう。本人も気づいていないだろう。だから、偽札が混じっていたとは言いにくい。でも、黙っているのも・・・。どうしたらいいか、と銀行員の生徒に相談すると「なに、簡単ですよ。授業料を現金で受け取らないで、銀行振り込みにしてもらえばいいんです。銀行がチェックしますから」。でも、たいした金額でもない授業料をわざわざ銀行振り込みにさせるのもおおげさだ。

貧乏な塾だけど、偽の100元札を5枚や10枚、つかまされても、屋台骨がぐらつくほど、やわでもない。そこは、まあ、偽札でも何でもいらっしゃいと、おおように構えているしかないようだ。