広西「ケチ風土記」

(その一)東北(旧満州)出身で桂林の男と一緒になった女性が、結婚7年目にして離婚した。夫は水道の水をジャージャーと流すのを好まない。いつもポトポトと出したのをタライに溜めておき、それを使うのを主義としている。ポトポトだと、水道のメーターが回らない。つまり、おカネがかからないからだ。妻もこれには一応納得して付き合ってきた。

だが、シャワーを浴びる時は、そういうわけにはいかない。そして、夫は妻のシャワーの時間が長すぎると、しょっちゅう文句をつける。トイレの水も毎回流すのを夫は嫌がる。「何回かに1回で十分だ」と言う。まあ、そうかもしれない。省資源、省エネの観点からは表彰ものだが、7年間の我慢の末、妻はついに切れてしまった。

(その二)桂林の街中にはスクーターがやたらに多い。バイクも目立つが、スクーターが圧倒的だ。本当は乗用車が欲しいのだが、まだそこまでの余裕は・・・といった人たちが乗っているのだろうか。加えて、スクーターは運転免許もいらない。自転車並みの扱いだ。そのせいか、街中はスクーターの洪水と言ってもいいくらいである。

それはそれでいいとして、困るのは夜、無灯火で走っているスクーターが多いことだ。ざっと見たところ、半数以上がそうだろうか。夜、視力にいささか問題のある僕には、これらが大変に怖い。暗闇からスクーターが飛び出してくる。直前まで見えない。本人たちだって怖くはないのだろうか。

で、スクーターの無灯火の理由は「おカネが惜しいから」に尽きるようだ。スクーターの充電を外でやれば、1回につき1元(約13円)を取られる。これが惜しい。自宅でやれば、もっと安くつくが、7階、8階のアパート・マンションでもエレベーターはついていない。上の階まで担いで上がるわけにもいかない。勢い、充電代を節約するために、無灯火で走ることになる。この前、上海に行ったが、ここでも桂林には遠く及ばないものの、スクーターが結構走っていて、やはり無灯火が目立つ。カネさえ掛からなければいい。安全なんてものは、眼中にはないみたいだ。

(その三)わが塾で1年前から日本語を習っている60歳前の女性。その風貌から僕は親しみを込めて「おばば」と呼んでいる。もっとも、僕との接触は少なく、わが相棒の中国人の先生がほとんどその相手をしている。最初の授業の時、おばばが手を挙げて「先生、ペンがありません」と叫んだ。「じゃあ、これをどうぞ」。先生は手元にあったボールペンを彼女に渡した。

そのボールペンを返してもらったかどうかは不明だが、そのうちにわが先生は生徒みんなに日本製の3色ボールペンをプレゼントした。僕が一時帰国した折に買ってきた奴だ。中国製の3色、4色のボールペンもあるが、文房具はまだ日本製に人気がある。書き心地が違うみたいだ。おばばも大いに気に入ってくれたようだった。

それから、どれくらい日がたったか、おばばがまた手を挙げた。「先生、ボールペンのインキが切れました」。先生は自分が使っていたボールペンをおばばに渡した。黒板に書いた日本語を「ノートに書き写しなさい」と先生が言うと、おばばは「先生、紙ください」と言う。どうやら、授業料の中にはボールペン代やノート代も入っているというのが、おばばの考えのようだ。

その授業料だが、おばばとは「初級1200元」という約束をしている。「初級」とは『みんなの日本語』という上下の教科書をすべて終えるまでという意味だ。終わるまでに何時間かかったかは関係がない。そして、おばばからは1200元をきちんといただいている。

で、おばばに対する「初級」の授業はこれまでに何度か修了している。おばばには当然、ひとつ上の「中級」に進んでほしいし、その授業料も払ってほしい。だが、そうは問屋がおろしてくれない。「わたし、頭が悪くて、なかなか覚えられない」と言って進級を拒否し、また初級を最初からやり始める。「初級1200元」と約束した以上、あらたに授業料を請求するわけにはいかない。それに、外国語というものは初級――英語で言えば中学校1〜3年の教科書――を徹底的に勉強するのが習得の王道だとも言われる。おばばは実に頭がいい。新たなカネをかけずに王道を歩いている。

おばばは貧乏なわけではない。それどころか、日本にはレストランを経営する娘がいて、ときどき大金を送ってくるみたいだ。おばばは桂林で一人暮らしだが、シャワールームが二つもあるマンションに住んでいる。でも、生活は慎ましやかで、生まれてこのかた汽車にも飛行機にも乗ったことがない。いつか娘のいる日本に行きたいというのが、日本語の勉強を始めたきっかけだが、「5年くらい掛けてゆっくり、ゆっくり・・・」とおっしゃる。どうやら、わが塾にいる限りずっと初級で過ごそうというお考えらしい。5年間で1200元の授業料――2万円にも満たない金額で我慢しなければならないのかなあ。最近、そう覚悟し始めている。

そうそう、おばばは「風邪を引きました」「おなかが痛いです」「目が乾いて・・・」なぞと、よくおっしゃる。つまり「薬」をくれという意味だ。そのたびに差し上げている。目薬の時は「こんな素敵な目薬は初めて」とおっしゃって、ケースごとお持ち帰りになった。

(その四)学生たちと計6人で、桂林からバスで3時間ほどの景勝地に出掛け、ホテルに泊まった時のこと、ツインの部屋を3つ取ったのだが、朝食は「各部屋で1人は無料ですが、もう1人は10元いただきます」とのこと。ホテルの朝食なんてものは、客みんなが無料つまり宿泊代込みか、あるいはみんなが別料金というのが普通だろう。こんな「差別」に遭ったのは初めてだ。で、翌朝、食堂に行くと、ろくなものがない。おかゆ、たまご、マントウに豆乳ぐらいだ。「コーヒーは?」と聞くと「別料金です」。堂々9階建てのホテルで、宿泊代も安くはないのだが、セコイねぇ。部屋には石鹸もスリッパもない。文句を言うと、持ってきた。文句がなければ、放っておくつもりだろうか。宿泊客の車の駐車料が一晩10元、部屋にあるパソコンの使用料が(インターネットにつながらなかったけれど)10元。そのうちに、宿泊代のほかにベッド使用料、シャワー使用料、テレビ使用料なんていうのも、取り出すのではないだろうか。

(蛇足)ふた昔前、新聞社のデスクをしていたころ、「ケチ風土記」と称して全国47都道府県の人たちのケチぶり(ぜいたくぶりもあったが)を連載して好評を得た(?)ことがある。新潮社から本にもなった。本人がケチのせいもあろうが、ケチの話は聞いて楽しい、書いて楽しい。そして、この広西チワン族自治区はどうやらケチ話の宝庫のような気がする。授業料を値切る人たちの話も以前に書いた。これからもどんなケチに出くわすか、興味津々である。