「貧乏塾」の新年

明けましておめでとうございます。
と言っても、新年をもっぱら春節旧正月)で祝う中国である。わが「東方語言塾」も大晦日の晩まで授業をし、新年の休みは2日間だけ、3日からはまた授業が始まる。年が明けたという感じはあまりしない。

ただ、わが塾では1年の学期を一応、1〜12月としている。新年は新学期のスタートの時でもある。12月には、国際協力基金など主宰の日本語能力試験が世界いっせいに行われるから、区切りもいい。そして、1年間を通して勉強するつもりの生徒からは、年間の授業料をまとめてもらうことにしている。1か月ごとにもらっていては、お互いに落ち着かない。いつ辞めるか分からない生徒相手では、年間の授業計画も立てづらい。「まとめて」というのが、お互いのためにもいいのではないか。とは言うものの、すんなりと授業料がいただけるかとなると——

「先生、ちょっとご相談があります」。塾で日本語を習い始めて1年余りの20歳代半ばの女性が寄ってきた。なんでも、新学期の年間授業料2000元(1元≒13円)は年末に払うべくちゃんと用意していた。そこへ、友人から「ちょっとの間だけ貸してほしい。利子もいくらいくら付けて返すから」と言われて、貸してしまった。ところが、期限が来ても返してくれない。「ですから、勉強はぜひ続けたいのですが、しばらくは授業料を払えないんです」。

「いいよ、いいよ、ある時に払ってくれれば」と言ってあげたいところだが、そういうわけにもいかない。ほかの生徒との関係もある。結局、彼女はどこでどう工面したのか、半分の1000元だけを「残りは6月までに・・・」と言いながら持ってきた。

同年代の別の女性も2000元を用意していたそうだが、やはりこれを少し増やそうと、かばん屋を開業した。「かばん屋」と言っても、雑居ビルで友人がやっている小さな衣料品店の前にある「廊下の壁」がお店だ。ここを畳1枚分ほど借り、打ち付けた釘にかばんを掛けて売り始めた。そのたくましさには感心していたが、結局、うまくいかなかったらしい。いつの間にか閉店してしまった。まだ資金はいくらかあるのだが、かばん屋での失敗を取り戻すために、春節前に爆竹を売ってひと儲けしたい。で、今は授業料を払う余裕がないと言う。

これも「いいよ、いいよ」とは言えないから、生返事をしていると「じゃあ、とりあえず2000元を払いますから、すぐにそのおカネを私に貸していただけません? 爆竹で儲けて返しますから」。ウーム、どうしたものか。

塾にやってきてまだ日の浅い大学生の女の子。本人は日本語の勉強を続けたいのだが、両親が「日本語なんて・・・」と言ってカネを出してくれない。で、「春節には親類中を回ってお年玉を集めてきます。なんとかなるかも知れません。もう少し待ってください」。彼女の場合、年間授業料は少し高くて2400元。このところの中国の物価上昇は実にゴーカイで、一気に3割、4割、5割なんてザラだ。わが塾も、最初から来てくれている生徒の授業料は2000元に据え置いたが、新しい生徒については2割の値上げをお願いした。

週3回、2時間ずつの授業、加えて、いつぶらりとやってきても、時間があれば個人指導する——これをを1年間やって2000元や2400元が高いのか安いのかは分からない。でも、生徒がまだ20人余り、それも日本語、韓国語、中国語、さらには初級、中級などと分かれているから、相棒の中国人の女性教師と二人で結構くたくたになる。とりわけ、日本語しか教えられない僕とは違って、日中韓なんでもこいの相棒の負担が大きくなる。それでも、授業料収入でまかなえるのは、教室と彼女の宿舎を兼ねたアパートの家賃、僕の家の家賃、それに彼女の給料ぐらい。僕は無給である。7年あまり前にハルビンの大学でボランティアの教師を始めて以来、ずっと無給が続いている。

でも、そんな「貧乏塾」でもやめられない「事情」がある。12月の日本語能力試験の後、みんなに感想文を書かせた。ひとりは「試験に合格できたかどうかは分かりませんが、一番大切なことは、この1年で勉強の楽しさが分かってきたことです」と言う。「今まで何を習っても、1週間と続いたことがなかったけれど、日本語の勉強だけは不思議に1年以上続いてしまった」と話すのもいる。

22歳になったばかりの女性は、脊髄からくる腰の病気で、日本語能力試験の直前に歩けなくなった。だが、車椅子で受験し、そのまま広州の病院に入院した。病院からのメールには「もし、私がこれからも車椅子の生活になったとしても、絶対にくじけません。日本語を習得するという夢ができたのですから。塾で日本語を勉強していた時がこれまでの人生で一番楽しかったです」とあった。「楽しい」というのは、ひとえに相棒の中国人の先生のおかげだろう。僕は横でカネの管理と心配をしているだけだ。中国人の先生にはさっそく広州まで見舞いに行ってもらった。広州は桂林から飛行機で1時間足らずのところだ。せこい話だけど、その航空運賃とお見舞いのおカネだって安くはない。さっきの彼女からいただいた半年分やそこらの授業料が吹っ飛んでしまった。幸い彼女の病状は快方に向かい、少しは歩けるようになったという。

かくして、わが貧乏塾もなんとか新年を迎えた。本年も何とぞよろしくお願い申し上げます。