塾を始めて早2年

わが「東方語言塾」に姉妹で通っているのが二組いる。その一組で、大学生の姉が韓国語、フリーターの妹が日本語を習っている2人が数日前、「先生、私達2人分の授業料です」と、5400元(1元≒14円)を持ってきた。「エッ、授業料って、なんのこと?」と、思わず聞き返した。と言うのも、姉妹の今年分の授業料はすでにもらっている。今ごろ、授業料をもらう理由はない。

よくよく聞いてみると、姉妹は先日、故郷の父親に「来年も今の塾に通いたい。引き続いて授業料を出してもらえるだろうか」と電話した。父親は南寧市の近くで農業の傍ら自動車の修理などをやっている。南寧市は、桂林市も属する広西チワン族自治区省都で、汽車で4時間ほどのところにある。姉妹は断られるかとも思い、恐る恐る電話したのだが、父親は「分かった」とだけ言って、すぐに送ってくれた。「少し早すぎるかも知れませんが、手元にあると使ってしまうので・・・」と、銀行から降ろした足で持参したのだそうだ。

その翌日、日本語を始めて半年、公園で観光客相手の案内係をしている女の子がやはり「来年の授業料です」と2800元を持ってきた。「故郷(河南省)の父に電話したら、2000元を送ってくれました。残り800元のうち500元は友達から借り、300元は私のおカネです」とのこと。これもありがたく頂戴し、さっそく預金した。おかげであと1年半は塾をやめられないことになった。

日本語、韓国語、中国語を教えるこの塾をつくって早2年になった。塾の場所も都心に近くて少し広いところに引っ越した。そこで先日、教室を使ってお祝いのパーティーをやった。40人ほどの生徒が集まってくれたのだが、わが塾は何しろ貧乏で、全部こちら持ちでみんなを接待する予算はない。塾が出したのはビールとジュースに水だけ。あと食べ物は参加者がそれぞれ持参し、乾杯用のシャンパンからゲームの景品などは地元の日系デパート「微笑堂」に提供してもらった。このデパートの社長以下、日本人3人がわが塾の中国語の生徒である。まさに他人の褌で相撲をとる、こんな貧乏振りを見て「早めに授業料を払ってやらないと、塾がつぶれてしまいそうだ」と、生徒たちに思われたのかも知れない。

いま書いたように、生徒は日本語を中心にまだ40人ほどだが、3つの言語に加えて個人指導、留学前の特訓なぞと、クラスの数だけは多い。おまけに、授業のない午前中も時間があったら来てよろしいというのが、わが塾の方針なので、その折の相手もしなければならない。僕と中国人の相棒の先生だけではとても手が回らない。

そこで、生徒のうち、今のところ働いていない古手の3人(と言っても、「あいうえお」から始めて最大2年足らずだが)に、日本語の初級相手の授業を助けてもらうことにした。もちろん、彼女たちに給料を払う余裕なんてない。逆に、授業料はちゃんと頂いている。教えることは学ぶことである、君たちの今の力量で給料をもらおうなどというのはおこがましい、とかなんとか適当なことを言って「仲間」にしたのだが、まあヒドイ話である。その代わり(と言うほどではないが)3人には仕事用の机をひとつずつ提供した。僕の使っている机よりもずっと立派である。

3人は毎朝、8時半にはやってきて、今のところ機嫌よく動いてくれているようだ。教室の掃除までやってくれている。授業をしている姿を眺めると、なかなか堂に入っている。

この3人に限らず、生徒たちが塾での勉強その他を嫌っていないようなのが、何よりも嬉しい。姉妹組のもう一組は最初、地元の大学にいる姉が通っていた。そのうちに郷里の東北地方(旧満州)の吉林省から妹を呼び寄せ、いま日本語の初級クラスで肩を並べている。吉林から桂林へ――日本で言えば、北海道の端から沖縄の端まで行くような距離である。

この半年ほど、土日の午前中、中学3年生の女の子が3人、日本語の勉強にやってくる。相棒の中国人の先生がもっぱら相手をしているが、正午になり「今日はここまで」と言っても、なかなか腰を上げようとしない。「学校だったら、昼休みになるのが待ち遠しいのにねえ」と言っているそうだ。

デパートの経理部にいる生徒に最近、南寧市の本店への異動の辞令が出た。彼女は「塾へ通えなくなるから」と、10年近くも勤めたデパートにあっさり辞表を出してしまった。会社側は「南寧にも日本語学校はいっぱいあるのに、いったいどうして?」と驚いたそうだが、彼女は「自分にとって、より重要な方を選んだだけです」と動じない。

東方語言塾、創立2周年――おめでとう。今回は自分で自分にヨイショして、自慢話らしきもので終始してしまったが、来年はどうなっていることやら。