たかがトイパー されどトイパー

2年前、わが塾をつくった時、トイレにトイレットペーパーを置くかどうかで、相棒の中国人の先生とちょっとした「論争」になった。

彼女が言うには、中国では学校でもレストラン、デパートでも、トイレにトイパーのないのが普通である。従って、わが塾のトイレにもトイパーを置く必要は全くない。郷に入れば郷に従え、トイパーはトイレの使用者が自分で用意すべきものである。ただでさえ赤字のわが塾なのだから、なおさらである。以上が相棒の主張である。事実関係は確かにそうかもしれない。こちらのレストランなどで、ティッシュを片手にトイレに向かう女性に出くわしたりして、失礼ながら噴き出しそうになったこともある。

でも、日本では学校、レストラン、デパートのトイレには、トイパーのあるのが普通である。いや、トイパーがないなんて、想像すら出来ない。もちろん、駅のトイレとか、トイパーのないところもあるものの、それはむしろ例外である。ここは中国ではあるけれど、日本語を教えている以上は、トイパーを置くべきである。それは、少し大げさに言えば、現在の日本文化のひとつでもあるはずだ。僕は高らかにそう主張した。「トイパーの管理ぐらい、僕がやるから・・・」とも言った。

結局、僕が押し切った。けれど、いざトイパーの「管理」を始めてみると、まことにセコイ話ながら、けっこう減りが早い。気になる。何日間でトイパー1個なぞと「統計」を取ったわけではないが、しょっちゅうスーパーにトイパーの買い出しに行っている感じ。どうやら、相棒の先生の主張が正しかったのではないか、と思い始めた。

今度、塾は新しい場所に引っ越した。それまでよりはかなり広くなり、トイレも1か所から4か所に増えた。2つが洋式、2つが中国式トイレである。中国式というのは、和式から金隠しを取っ払ったような奴だ。もちろん水洗だが、床に穴が開いているだけ、と言ってもいい。余談ながら、水をぶっかけて掃除をする時には、中国式が一番やりやすい。不特定多数が使うトイレとしては、まことに合理的である。

新しい塾では、4つのトイレのうち、2つの洋式をそれぞれ僕と相棒の先生の専用にし、掃除のしやすい中国式の2つを生徒専用にした。ついでに、トイパーは置かないことにした。大変にご都合主義ながら、郷に入れば郷、自助努力をお願いすることに方針転換したわけだ。今のところ、生徒から表立った不満は出ていないが、ケチだねえと思われているかもしれない。そのうちに、塾の収支が好転した暁には「トイパー使い放題」にして、生徒の皆さんに報いたいと思っている。

トイレのことではもうひとつ。40人からの生徒がいると、その都度、流す水の量も馬鹿にはならないはずだ。また、トイレにきれいな飲用の水を使うのも、もったいない話である。それに、何と呼ぶのか、水を流すトイレの装置が安物で、1日に何十回と触っていると、たちまち調子が悪くなる。水が止まらなくなったりする。そうかと言って、塾の負担で装置を丈夫なものに換えるのも、ケチ家主に対して業腹である。

そこで、対策として、洗濯のすすぎに使った水、台所で食器を洗った水などをトイレに再利用することにした。大きめのバケツいくつかにそうした水を入れてトイレに置いておく。そして、その都度、ひしゃくで水を流してもらう。生徒の皆さんにはご面倒をお掛けするが、水は節約できるし、水を流す装置も、使わないのだから、故障のしようがない。断水時(たまにある)の備えにもなる。「一石三鳥」である。

じゃあ、その水の「供給係」は誰にするか。考える必要もない。僕しかいない。そこで、毎晩おそく、生徒たちがみんな帰った後、溜めておいた洗濯の排水などをバケツに入れ、このトイレには3個、ここは1個と置いて回っている。使用頻度に応じて量を調節するわけだ。水がいっぱいのバケツはけっこう重い。この時期、汗びっしょりである。朝早くから生徒がやってくるから、これを済ませておかないと、安心して眠れない。

昼間もときどきトイレを見て回って、水が足りているかどうかを確認する。足りているからと言って、いつまでも放っておいてはいけない。しょせん「排水」だから、暑い時期だけに、日がたつと少し臭ってきたりもする。出来る限り新しい排水を供給する必要がある。それやこれや、けっこう骨が折れ、神経も使う仕事である。

いやはや、この年齢になって、しかも異国で、こんな仕事にありつくとは、思ってもみなかったなあ。