人を見たら 泥棒と思え

わが塾の入り口の錠前がおかしくなった。家主に言うと、さっそく2人組の錠前屋を派遣してきた。1人は50歳くらい、もう1人は30歳がらみの男だ。なんでも、警察署の前で営業している信用の置ける連中だとのこと。わが塾の優等生の女性に通訳をしてもらいながら、僕が修理に立ち会った。

錠前はなかなか直らない。様子が変だ。聞いてみると、いじっているうちに錠前がさらにおかしくなった。部屋の中からでないと、ドアの開け閉めが出来なくなってしまったと言う。われわれ4人は部屋の外にいる。部屋の中には誰もいない。さあ、困った。どうする? 錠前屋の年寄のほうが「20年間、この仕事をやっているが、こんなことは初めてだ」と言っているとか。ほんとかね? へぼな連中だ。

雑居ビルの4階にあるわが塾は、踊り場を挟んで2軒の家を借りている。その一方をメイン、他方をサブの教室にしているが、錠前がおかしくなったのはメインのほう。メインに入れなくなった錠前屋2人は、踊り場を挟んだサブのほうにずかずかと入り込んできた。そして、道路に面した窓から隣のメインの教室を眺めながら、何やら相談している。壁伝いに隣に入ろうとしているみたいだ。結局、それはあきらめたようだが、ビルの4階で壁伝いとは、なんとも大胆な発想ではないか。ただ者とは思えない。

さて、また元の所に戻った2人は、今度は踊り場の上にあるトイレの窓(下の写真)に目をつけた。そして、泥棒よけの格子をはずし、開いていた小窓から、若いほうの男がスルリと中に入っていった。小窓に片足を突っ込んでから、姿が中に消えるまで、数秒の間の出来事だった。まるで、軽業か何かを見ているみたい。あとで計ってみると、男が身をくぐらせた隙間は横が十数センチ、縦が二十数センチしかない。そんな所から、スリムとは言えけっこう背の高い男が・・・。男にとって、こんなことは初めてではないだろう。しょっちゅうやっていなければ、こうも軽々と侵入できるはずがない。


↑踊り場の上にあるトイレの窓。「泥棒さん、狭いですけど、こちらからどうぞ」といった感じでもある。


僕は思わず日本語で怒鳴ってしまった。「錠前屋と言ってるけど、この連中の本職は泥棒じゃないのかね」。通訳の生徒がうなずいている。この地の泥棒の侵入経路としては、トイレの窓が一番多いと言われる。わざわざあんな狭い所からどうして?と思っていたのだが、この錠前屋の行動を見て納得がいった。窓についた格子も小さいので、はずしやすいし、その後の処理もしやすいわけだ。しかも、格子はネジで止めてあるだけ。数日後、家主に頼んでハンダ付けにしてもらったが、なんで泥棒に好都合なネジ止めにしていたのか、理解に苦しむところだ。

わが塾のすぐ上、このビルの最上階の5階にも住居が2軒あり、1軒には中年の役人夫婦が住んでいる。もう1軒はまだ空き家だ。そして、わが塾が引っ越してきてしばらくすると、この役人夫婦は4階から5階に行く階段に錠前つきの大きな格子をつけてしまった。5階に行く階段は彼らにしか使えなくなった。そもそも階段というものは、ビルの関係者の「公道」だと思うのだけど、これを勝手に「私道」にしてしまったわけだ。夫婦は出入りの度にガチャガチャと鍵で格子を開け閉めしている。面倒くさいだろうと思うのだけど、泥棒に入られるよりはまだましと言うことだろう。

その「泥棒」と言うのは、僕を含めたわが塾の面々であるのは明白だ。本来なら、空き家で無用心だった階下に住人が入ってくれて心強くなりました、と感謝すべきところではないのか。それなのに、われわれを泥棒扱いとは、まことに失礼千万、不愉快極まりない。そう塾の授業で話したら、男の子が「先生、彼らも泥棒みたいな連中です。自分たちがそうだから、周囲の人が怖くて仕方がないのですよ」と、なかなかに鋭いことを言う。それ以来、鬱憤晴らしを兼ねて彼らのことを「5階の泥棒夫婦」と呼んでいる。


↑わが塾の出入り口のすぐそばに、上の階の夫婦がこしらえた格子。見る度に気分が悪くなる。


そんなこともあって、授業中に「泥棒・すり・ひったくり」を話題にすると、「わたしはこんな被害に遭いました」「僕は・・・」と、話が尽きなくなった。その中で、いつもは元気な女の子がションボリとしている。聞いてみたら、つい先日、泥棒に遭ったが、これはお隣の省から桂林に来て1年足らずの間に起きた3回目の出来事。僕は桂林に来て3年間ですりに1回遭っただけ、肩身が狭くなる。しかも、彼女は今回、身分証まで取られてしまった。中国人にとって身分証は本当に大切で、これがなければ、飛行機の切符も買えないし、まともなホテルにも泊まれない。彼女は「故郷に帰りたい」と涙ぐんでいる。

人を見たら泥棒と思え。この地に住んでいると、実感を持って身に迫ってくる「金言」である。