募集しているのは生徒なのに・・・

わが塾の電話が鳴る。「はい、こちら東方語言塾です」「そちら、日本語を教えている所ですか?」「はい、そうです」。日本語を習いたいという電話に違いない。生徒が増えるのは何よりもありがたい。

女声の相手が言葉を続ける。「私、日本語の教師です。そちらで教えたいのですが、給料はいくらですか?」。えっ、わが塾が募集しているのは生徒で、教師なんて足りているのに・・・それに、いきなり「給料は?」である。言葉に詰まってしまう。だが、電話の相手は日本語ということに関しては仲間である。会ってみれば新しい広がりが生まれるかも知れない。できるだけ丁寧に答える。「給料はその方の日本語のレベルによって違ってきます。今ここでは言えません。一度、塾に遊びにいらっしゃいませんか」

ここまでは中国語での会話である。相手が日本語の教師だと言うので、以後は日本語に切り替える。当然、日本語で答えてくれるものと思ったら、相手は依然中国語で、しかも「あー、うー」といった程度の返事しか返ってこなくなった。どうやら、こちらの日本語が聞き取れず、返事のしようがないらしい。やがて、向こうから電話を切ってしまった。(以上は僕がやった会話ではない。相棒の中国人の先生がやってくれた。これに限らず、この種の応対は相棒の先生や、僕が「師範代」と呼んでいる古手の生徒たちに頼っている)。

わが塾はこの3月、桂林から南寧に移って以来、新しく生徒を集めるためいろいろと広告を打ってきた。と言っても、テレビや新聞を使っているわけではない。やっていることは実にミミッチイ。近くの広西大学などのキャンパスの掲示板に手書きの募集広告を張ったり、チラシを配ったり、塾や僕、それに生徒のアパートの外面に横断幕を下げたり、あるいは、インターネットの無料の掲示板を利用したり・・・インターネットの方は無料だから広告がすぐ満杯になり、古いものから消えていく。そのたびに広告を更新しなければならない。この面倒な作業は師範代たちがやってくれている。下の写真は僕の住まいのベランダに下げた広告。道路に面した下方には学生相手の食い物屋がある。

こんな情けない広告ばかりなのだが、それでも見てくれる人はいるらしい。結構電話が掛かってくる。ただし、こちらの期待が裏切られることも多い。さっきのような教師志望の電話を寄こした人は軽く10人を超える。みんな女性で、「夏休み中のアルバイトに」と言ってきた、大学日本語科の学生が目立った。日本語科の学生なら「もっと日本語のレベルを上げたい。ついては一度、塾の授業を覗いてみたい」とでも言ってくれれば嬉しいのだが、いきなり「教師をしたい。給料は?」である。何人かには会ってみたが、とても教師を任せられる力量ではなかった。

期待はずれの電話では、教師志望のほか「うちを通して広告を出しなさい」とのお誘いもよく掛かってくる。直接押しかけて来て長々とぶっていくのもいる。なかでも多いのがインターネット関連で、「広告代は年間2800元から」(1元≒12円)なぞと持ち掛けてくる。いくら断っても別の人間がやってくる。

「私のツイッターはファンが多いです。ここで募集すれば、きっと生徒が集まります。生徒が一人来るごとに私にいくらいくらを払ってください」というのもあった。ちなみに、ツイッターは中国語では「微博」と呼んでいる。

いくつかの大学の「学生会」と名乗るところからも電話があった。学生会? もしかしたらグループで日本語を勉強してくれるのではと期待したら、「キャンパス内での広告は我々にお任せください」。なんでも、学生食堂のあたりに横断幕を張り、看板を置く、チラシも配る――という3点セットが3日間でいくら、横断幕だけ、看板だけといった単体だったらいくらというメニューだった。

そんな中で、電話でいきなり「ぜひ東方語言塾で日本語を習いたい」と切り出してきた女性がいた。わが塾の評判をどこかで聞いたのだろうか。久しぶりの嬉しい電話だと思ったら、彼女が続けた。「ところで、私は英語ができます。そちらで英語を教えますから、授業料はお互い無料ということにしましょう」。二の句がつげなかった。やっと「こちらの生徒は全員英語ができますので、英語の教師は要りません」と答えてお引き取り願った。

もちろん、ちゃんと授業料を払ってわが塾の生徒になってくれる若者もぼちぼちだが増えてきた。だけど、わが塾の「生徒募集」の広告を見て、教師をして稼ごう、広告を出させよう、生徒の紹介でリベートを頂戴しよう、あるいは、授業料をタダにさせよう――と発想する、そんな人たちの方がより多く押し寄せてくる。たくましい人たちである。僕らも負けているわけにはいかない。今度また広告を出せと言ってきたら、「日本語を教えてあげるから、広告代はタダにしろ」と交渉しようと思っている。