わが「師範代」たち

明けまして おめでとうございます
本年も駄文にお付き合いくださいますよう お願い申し上げます

わが東方語言塾もなんとか3年目の新年を迎えた。家賃も3月分までは前払いしてある。新年早々、追い出される心配はない。でも、やはり心配になって預金通帳を眺めてみると、さらに数カ月はなんとか払っていけそうだ。その後は分からない。生徒たちが心配して「先生、家賃が払えなくなった、と家主に言ったらどうですか。安くしてくれるかも知れません。桂林ではそんなこともありますよ」と、知恵をつけてくれる。ありがとう。でも、やせても枯れても、僕だって日本男児である。そんな情けないことは言いたくない。

——というような、やはり情けないわが塾ではあるが、実は、困っているのはおカネよりも「教師不足」である。わが塾の教師は僕と相棒の中国人の先生の2人、生徒はたったの三十数人。常識的に言えば、十分に間に合う「教師数」なのだが、何しろわが塾は、教えるのが「日本語、韓国語、中国語」と大風呂敷を広げている。それに応えて生徒の皆さんも日、韓、中の3カ国語にわたる。さらに、地元の日系企業の社長、副社長はじめ日本人、中国人の幹部も6人ばかり中国語、日本語を習いに来てくださる。この人たちは程度などに合わせた1対1の授業。それやこれやで、わずか三十数人の生徒とは言え「クラス」の数は15ほどにもなる。

さらに、生徒との表向きの約束は、例えば「授業は夜7時から9時まで、2時間ずつの週3回」といったものだが、実際は「時間があれば、いつ来てもよろしい。自習していてもいいし、当方の手が空いていれば、相手もします」ということにしている。事実、授業がなくても毎朝8時ごろには、数人から多い時には10人ほどがやってくる。

こんな状況だと、教師2人ではとても相手できない。新しく教師を雇えばいいのだけど、そんな余裕は到底ない。どうしたものか、と悩んでいるうちに、ふと「苦肉の策」が浮かんだ。古手の生徒の何人かを無給で教師代わりに使うことである。1級から4級まである日本語能力試験の2級に合格した生徒、あるいは、次回に2級を受ける生徒——わが塾にはまだこの程度の戦力しかいないが、「あいうえお」から始める生徒相手には十分に使えるのではないか。それに、教えることは学ぶことだと言うではないか。

試みに1人に「給料はないのだけど・・・」と、声をかけてみると、「はい、やりたいです」。で、実際にやらせてみると、けっこう堂々とやっている。あれ、僕より教え方が上手なのじゃないか、と思わせられる時もある。かくして教師の代役を頼んでいる生徒はその後、3人に増えた。みんな女性だ。午前、午後、それぞれが思い思いの生徒を相手に授業をしている。教えるには自分でもしっかり勉強しなければならない。しめしめ、こちらが手取り足取りしなくても、自分で伸びてくれるぞ。ちなみに、下の写真はそんな授業のひとつである。

無給で仕事をさせるだけでは申し訳ないので、そのうちに、夕食は塾で作って食べさせることにした。僕が作ることもあるし、相棒の中国人の先生が作ることもあるが、やがて彼女たちも「今夜は私が・・・」とか言って、代わり番こに台所に入り始めた。材料費はもちろん当方持ちだが、こちらの手間が省けてありがたい。さらには、教室や僕の部屋の掃除まで彼女たちがやってくれるようになった。こいつはさらにありがたい。

そうは言っても、いくらなんでも無給でこれじゃ申し訳なさ過ぎるのではないか、と思い出したころ、これこそが「正しい教育方法」だと思わせてくれる「援軍」に出会った。外山滋比古(とやま・しげひこ)著『思考の整理学』(ちくま文庫)である。日本に帰った折、本屋を覗くと「東大・京大で1番読まれた本」というコピーでこの本を宣伝していた。ミーハーな僕はさっそく買い求め、ぱらぱらとめくっていると、思わず膝を打つようなくだりが現れた。

外山さんいわく——最近の教育はとかく生徒が受け身になっていてよろしくない。生徒は先生が教えてくれるのをじっと待っているだけだ。積極性がない。ところが、昔の塾や道場は違った。入門してもすぐには教えない。むしろ、それを拒んだ。例えば、剣道の修業をしようとして入門してきた者に、薪わりから水汲み、時には子守りまでさせた。なぜ教えてくれないか、とじらせ、学習意欲を高めた。昔の人はこうして、受動的になりやすい教育を積極的にすることに成功していた——ざっと言えば、こんなところだ。わが塾では生徒を「じらす」ために食事の用意や掃除をやってもらっているわけではないが、あれもこれも「積極性」云々という点では一脈、相通じるところがあるのではないか。

昔の塾や道場には師範がいて師範代がいた。普段の稽古は師範代がつけることも多かっただろう。わが塾で言えば、相棒の先生が「師範」、さっきの3人の女性が「師範代」、僕はさしずめ「ご隠居」といったところだろうか。そのご隠居がときどき教室を覗き見してみると、師範代を頼んだつもりは全くない生徒までが代わる代わる前に立って、教師役を務めている。一生懸命勉強してきたので、教えたくて仕方がないのだろう。

先行きに何か光明も見えてきたような貧乏塾の新年である。