わが塾の「もったいない」教育

わが塾で生徒たちが使っているトイレは、昼間でもそう明るくはない。でも、外に向いた窓も小さいながらついていて、電灯をつけないと使えないほどではない。が、生徒たちはよく電灯をつけてからトイレに入る。あのねぇ、トイレを使うぐらいで、昼間からわざわざ電灯をつける必要はないんじゃないの? もったいないよ。はーい、先生、分かりました。

桂林の冬は曇った日が多い。昼間でも教室が薄暗かったりする。当然、電灯をつけないといけない。でも、2人が自習しているだけなのに、わが塾では一番広い(と言っても、20人弱の授業に使えるぐらい)の部屋で電灯を煌々とつけている。蛍光灯の数で言えば、5本になる。あのねぇ、たったの2人なんだから、もっと狭い部屋を使ったらどうなの? 電気代がもったいないとは思わない? はーい、先生、すぐに移ります。

相棒の中国人の先生と一緒にいささか口うるさく言っていると、生徒たちも随分と気を遣うようになったみたい。曇天で、あるいは夕方になって、かなり薄暗いのに電灯はつけず、窓際に立って自習の朗読をしたりしている。気の毒になって、こちらから電灯をつけることもある。先生、ありがとうございます。

授業で使う教材、資料、模擬テストなどの紙の量が馬鹿にならない。と言っても、1カ月に何枚とか、計算しているわけではないが、とにかく500枚単位で買ってきたコピー用紙がすぐになくなってしまう。生徒たちからカネを取っているわけでもない。なんとか少しは減らせないか。ふと思い当たった。生徒たちに渡した教材などはコピー用紙の片面だけにしか印刷していない。まことにもったいないことをしていた。あの白いままの裏面は今、どうなっているのだろうか。ノート代わりに使うなぞという殊勝なことは多分していないだろう。

生徒たちに大号令を出した。これまでに渡した教材などで、今は使っていないもの、そして裏側が白いもの――そいつらを返してほしい。資源の節約ならびに経費節減のためにもう一度、コピー用紙として使いたい。なかなかに素直な生徒たちである。続々と集まった。2000枚以上にはなっただろうか。お茶か何かをこぼしたのか、染みの付いたのもあったが、最近はもっぱらこれらの裏面を教材などに使っている。

トイレで流す水は、洗濯に使った水や食器を洗った水を再利用しているという話は、以前に書いた(09年7月1日「たかがトイパー されどトイパー」)。もちろん、洗面やシャワーに使った水も無駄にはしていない。でも、「もったいない、もったいない」と、いつもつぶやいていると、もっと効率的な再利用法はないか、と知恵を絞りたくなってくる。そうだ、洗濯に使った水は今一度、「洗濯」そのものにも再利用できるのではないか。つまり、わが中国製「ハイアール」電気洗濯機は、洗濯に当たっていつも3回「排水」する。1回目、2回目はきれいではないが、3回目の排水は体を洗ってもいいくらいにきれいなことがある。そんな折にはもう一度、洗濯に使えるじゃないか。洗濯機の排水は掃除の時の雑巾洗いにも使っている。

かくして、わが塾でいったん上水道から流れ出た水は、もっとも効率的に利用された場合、①洗濯、②もう一度洗濯、③掃除、④トイレというふうに、4回もお勤めを果たす。それからやっと、下水道へと流れて行くのである。生徒たちに話すと「へぇ〜」と感心している。ちなみに、下の写真は再利用する水の「製造基地」だ。居並ぶバケツがカラフルなのが自慢である。

「もったいない」も最近は、我ながらいささか「病膏肓(こうこう)に入る」の感がないではない。僕は数年前からよく5本指の靴下を履いている。足の疲れが少ないような気がするので、帰国した折に買い込んでくる。ところが、左足に比べて右足のほうがどうも傷みが早い。5本指だから、繕いも難しい。左足ばかり残ってもったいないなあ。ふと、左足の靴下を裏返しにしてみたら、と思い当たった。バッチリである。左足用が右足用の靴下に化けた。なに、中国ではお座敷に上がるなんてことはまずないから、片一方に裏返しを履いていても、どうってことはない。広い世間のことだ、先駆者がいらっしゃるかも知れないが、僕にとっては、まさに「コロンブスの卵」である。

昔、経済記者をしていたころ、大阪・船場の商人、西岡義憲さん(故人)から、靴下は特にかかとの部分が破れやすいから「毎日、なんぼかずつ回しながら履くんです。そしたら、だいたい7倍長く履けます」と、実演つきで教えていただいたことがある。

そうだ、一足の靴下を長持ちさせる法も、わが塾の「もったいない」授業で取り上げてみようか。いや、そこまでやると、ひんしゅくを買うだけかも知れない。そう思って、今のところは踏み切れないでいる。