気楽な男たち

「結婚相手に望む一番の条件は何?」。わが塾での日本語の授業中、生徒たちに尋ねてみた。今日出席の十数人はみんな20歳代の未婚の女性たち。結婚相手は「3高」とか「3C」とか、それに類したものが返ってくるだろうと思っていた。ところが、返事は「桂林人以外の男性と結婚したいんです」。桂林市、それに、この街が属する広西チワン族自治区の女性たちが口をそろえる。桂林の男でないこと——それが結婚の第一の条件だそうだ。えっ、どうして?

「だって、桂林の男は働きません」「向上心もありません。絶対に嫌です」。確かに、彼女たちから聞かされる、桂林の男たちの評判は芳しくはない。以下はすべて、わが塾にいる、あるいは、以前いた女性たちの話である。

23歳になる兄——仕事は何もしていない。勉強もしていない。家にいて、食べて寝て、パソコンで遊ぶだけ。小遣いは両親からせしめているが、不足気味なのだろう。大学生の彼女にまで小遣いをせびってくる。父親は建築材料の小さな店を持っているが、自分ではほとんど働かず、他人に任せている。働かなくても食べていける程度の家賃収入があるようだ。

40歳代の父——やはり食べて寝て、あとは酒を飲むだけ。以前は車もあったのに、マージャンの負けで取られてしまった。それに懲りたのか、最近はバクチをしないのだけが救いだ。母が小さな雑貨店をやって、生活を支えている。

離婚した夫——農家の彼女のところへ養子に来た。3階建ての家はあるし、自給自足で食べるには困らないのだが、夫はタクシーをやりたがった。車を買い与えた。でも、売り上げがいっこうに上がってこない。不思議に思って探ってみると、車を街中に停めて近くでカードに没頭していた。

幼なじみの恋人——彼女自身は日本に留学したり、戻ってからはホテルに勤めたり、さらには韓国語の勉強を始めたりと、実に活発だ。が、恋人は食べて寝てパソコン以外は何もしない。一人っ子で、両親は大学に勤めている。家賃収入が3軒からある。働く必要はないのだろうが、ちょっとひどすぎる。彼女が「少しは外に出たら・・・」と言うと、「外に出たらタクシー代とか、いろいろカネがかかる。家にじっとしているから安くつく」。優しい男だったが、もうこれまでと別れたそうだ。

いささか極端な話だけを集めたように思われるかも知れない。が、桂林の街を歩いていると、彼女たちの話にもうなずけるというものだ。例えば下の写真だが、道路で何やら人だかりがしている。

男ばかりが十数人。なんだ? なんだ? と首を突っ込んでみれば、次の写真↓のごとし。中国将棋の駒が並んでいる。何がそんなに面白いのか、プレーヤーより観客の方がずっと多い。


↑この写真はわが塾の近くで写した。こちらはトランプである。雨でも降らない限り、毎日、ここで場が立っている。5元札、10元札、20元札(1元≒13円)あたりが飛び交っている。将棋、トランプ、マージャン、それに、なんと呼ぶのか、紙の札を使うマージャンのようなゲーム——とにかくこんな光景を平日も休日も街中の至る所で見かける。もちろん、女性もいるが、8割方は男たち、なんとも気楽な連中である。


道路上だけではない。↑屋根の上でもやっている。遊ぶためにわざわざ屋根に上がったわけではない。ちゃんと仕事があったのだが、いつの間にか、トランプになってしまったみたい。休み時間だけにやっているのではない。午後ずっと、日が暮れるまでやっていた。周囲の状況から見て、仕事はまだまだ終わってはいないはずだ。

とにかく、中国人たちはよく遊ぶ。それはそれで結構なことだ。ハルビンでも遊びにふけっている人たちをよく見かけた。ただ、この桂林の街で不思議なのは、老人も遊んでいるが、働き盛りなのに遊んでいる男たちの多いことだ。ハルビンでは老人が圧倒的で、若いのは少なかった。この街の「遊び人」たち——仕事はどうなっているのだろう? どうやって食っているのだろう? 

いろいろ聞いているうちに、僕なりに少し謎が解けてきた。1980年代以降、桂林は国際観光都市として大きく発展した。外からもたくさんの人が入り込んできた。それまでの桂林は、言ってみれば、ひなびた農村に過ぎなかった。ところが、街の発展につれ、農地はビル街やアパート街に変わった。農地が不動産業者などに買い上げられ、農民の懐は豊かになった。その際、農民に直接、現金が入るのではなく、買い上げられた土地の値打ちに応じて「アパート」が配られた。何軒もの家主になった農民も多かった。その家賃収入でかつての農民たち——今は彼らの次の世代だろうか——は遊んで暮らしている。たとえ働いても、そう真面目にやる必要もないというのである。

「でも、せっせと働いている男だっているけど・・・」と言うと、それは主によそからやってきた連中だとのこと。なるほど、そういう連中が借家人になって働いている。僕もその一人なのだろう。