開けっ広げの裏口入学

わが塾の生徒である女性から聞いた話である。彼女が小学校卒業を前に受けた中学校の入学試験は「自慢するのもなんですが、重点中学校に行けるいい成績でした」と言う。ちなみに、中国も中学校までが義務教育だが、公立の中学校でも入学試験がある。成績によって進学先を「重点中学校」と「普通中学校」、つまりいい中学校とそれ以外の中学校に振り分ける。当時、彼女が進学可能な公立中学校は10ほどあり、うち3つが重点中学校、残りが普通中学校だった。

ところが、彼女は小学校卒業の頃、仲間よりかなり小柄だった。心配した両親がもう1年、小学校にとどまるように勧め、彼女も従った。それを聞きつけた友だちの母親が飛んで来た。「うちの娘に重点中学校入学の権利を譲ってくれませんか」。そんなこと出来るのだろうか? いぶかる彼女の両親にその母親は「大丈夫、大丈夫」と自信たっぷりだった。あとで聞くと、学校側に5万元(1元=12〜13円)を払って彼女の名前で娘を入学させた。物価高騰の中国では当時の5万元は今なら10万元やそこらの値打ちがあるだろうか。なお、彼女の両親は別にお礼をもらったわけではないそうだ。

1年後、彼女はまた入学試験を受け、さっきの重点中学校に入学した。先生たちから「1年遅れでやっと来たね」と声を掛けられた。入学の権利を譲った話は周知のことになっていたのだ。譲られた友だちも元気に1年上の学年に在籍していた。名前は本名に戻っていた。

僕がハルビンの大学の日本語科にいた2000年代の前半、クラスは1学年2つか3つだったが、突然1学年10クラスにも増えたことがあった。日本語の需要がそんなにあるなんて、ありがたい話なのだが、確か1組から4組までが従来どおりに試験に合格した学生、5,6,7組は試験の点数が不足だったのでおカネでそれを補った学生、そして8,9、10組はおカネだけの学生という分け方だと聞いた。おカネがそれぞれいくらだったのかは聞き漏らした。

裏口入学」と聞くと、なんか暗い感じを受けるが、この地では実に開けっ広げである。お隣の大学の日本語科でも似たことをやっていたが、ここは「成績だけ」「おカネだけ」に関係なく交ぜてクラスを編成していた。ただ、おカネだけで入ってきた学生の中には授業についていけなくなる者も結構出てくるはずだ。こんなやり方がその後もうまくいっているのかどうかは知らない。

わが広西では押しも押されもせぬ存在の国立某大学。もし、入学試験の成績が芳しくなくて、この大学に限らずどの大学のどの学院(日本の学部に当たる)にも入れなくても、この大学には受け入れてくれるところがある。国立大学なのにおカネが威力を示す私立の学院が別途設けてあるのだ。

別の国立大学の外国語学院日本語科に入りたかったのに入れなかった女の子がいる。がっくりしていると、両親がさっきの大学の私立学院を見つけてきてくれた。カナダのなんとか教育基金と称する組織がこの大学と手を組んで設けた学院だとのこと。もっぱら英語を教えている。おカネを積めば簡単に入れるらしい。卒業後、カナダに留学したり移民したりする道もある。ただ、彼女は英語が大嫌いで、勉強するつもりも全くない。

でも、この私立学院はそうした学生にも優しくて、途中で進路が変えられる。授業料を払って2年間、とにかく我慢すれば、本体つまりさっきの国立大学の1年生に試験なしで編入できるのだ。彼女は迷わずこの学院に入って2年を過ごし、その後は本体の外国語学院日本語科の1年生になった。本来よりも2年遅れたが、その間も日本語を独学してきたので、成績はトップクラスである。

この私立学院の授業料は本体よりもずっと高い。外国語学院日本語科の授業料は何やかや入れて年間8000元程度のようだが、私立学院は1万8000元だと聞いた。ただし、この地の常識ではこれにまたいろいろと追加があるはずだ。この国立大学にはほかにも企業が出資して設けた私立学院がある。やはり入りやすい代わりに授業料が高いのだが、「国立」の中に「私立」を設けるなんて、なんとも柔軟な心憎い発想である。

ついては、わが日本もカナダを見習って、もっぱら日本語を教える私立学院をこの国の国立大学の中に設けてはどうだろうか。それもカナダのように「2年後には・・・」なんて情けないことを言う必要はない。僕の見るところ、英語オタクの若者はそうはいないが、アニメや漫画のおかげか日本語オタクは結構いる。そういう連中に限ってほかの勉強が嫌いである。頭は悪くないのに普通の大学には入れない。彼らを開けっ広げにおカネで入学させる。大いに繁盛すること請け合いだ。

・・・いや、待てよ。そうなればわが塾のライバルとなりかねない。わが塾も授業料さえいただければ誰でも受け入れているのだから。