コワイ日本人客 ヤサシイ中国人客

東京のある高層ホテル。日本人客よりもアジア人を中心にした外国人観光客が多い。そのフロントに60歳くらいの日本人の男がやって来て言った。「東京の城はどこにあるの?」。尋ねられた女性はびっくりした。「エッ、東京のお城ですか? 聞いたことがございませんが・・・」。男は「大阪には大阪城がある。東京に東京城がないわけないだろ?」と言いながら、彼女の胸の名札を見た。中国人の名前である。「君では分からん。日本人を呼んでくれ」。

代わった日本人の女性が丁重に説明した。「昔、江戸城がありましたが、今は皇居になっています。東京城はございません」。男は黙って去って行った。手助けした日本人女性が中国人女性を慰めた。「日本人にはあんなお客様が多いの。泣かないでね。その場ですぐに忘れてしまわないと、次の仕事ができないわよ」。

身なりの立派な日本人の男がチェックアウトにやってきた。やはり60歳くらいで、引いているスーツケースも高価そうだ。そして「今夜は大切な客があるので、○○ホテルに泊まる。このスーツケースをそこまで送っておいてほしい」と言う。○○は名だたる高級ホテルである。応対したさっきの中国人女性はとまどった。「申し訳ございませんが、チェックアウトされたお客様のお荷物を当ホテルが他のホテルにお送りするサービスはやっておりません。なんでしたら、しばらく当ホテルでお荷物をお預かりいたしましょうか」。男は彼女の名札を見ながら言った。「『送る』と『預かる』とは意味が違うんだ。日本人を呼んでくれ」。

代わった日本人女性が、やはり他のホテルに送るサービスはやっていないことを丁重に説明した。男は仏頂面で「分かった」とだけ言って、自分でスーツケースを引きながら出て行った。中国人女性には目もくれなかった。

日本人の老夫婦がフロントに荷物を預けにやってきた。預け終わって夫が中国人女性の名札を指差しながら言った。「大丈夫かな?」。妻がそれを聞いて「あーら、嫌だわ」と、しなを作りながら嬌声を上げた。何が嫌なの!! 中国人女性はまさにはらわたが煮えくり返ったが、どうすることもできない。

このホテルの宿泊客はおおざっぱに言って30パーセントが中国人や日本人のツアー客。残り70パーセントが個人客で、その半分以上が中国人、それも大陸以外の台湾、香港、マレーシア、シンガポール、タイなどからの人たちが中心だ。大陸の中国人はおおむねツアーでやって来る。あと韓国人が20パーセント、欧米人が10パーセント、残りが日本人といったところ。そして、日本人を中心に中国人、韓国人を交えたフロントの人たちが「最も怖がっているのが日本人のお客様です」と、さっきの中国人女性は言う。

このホテルは外国人客用と日本人客用のフロントが別々になっていて、表示はしてあるのだが、外国人の列に紛れ込んでしまう日本人もよくいる。そこで、外国人客用の列を見て回って、日本人らしい客に声を掛け、早めに列を移ってもらうのも、さっきの彼女の仕事のひとつだ。

ところが、目星をつけて「日本人の方ですか」と声を掛けても、「はい、そうです」と素直に答えてくれる客は少ない。多くが「もちろん」と言って不愉快そうににらみつける。そんなこと、分かり切っているじゃないか、といった表情である。「私が日本人に見えないの?」と、嫌味が返ってきたりする。

嫌味を言わなくても、日本人客の要求は厳しい。都内の観光地の名前を言って行き方を聞かれることがよくある。地下鉄の路線図を渡して説明しようとするのだが、「最短距離は地下鉄何線をどこで何々線に乗り換えて・・・」といった詳しい説明を求められる。路線図を見て、自分で考えてくれる人はまずいない。「そこまでの地下鉄料金は?」なんて聞かれることもある。

その点、中国人の客は違う。地下鉄の路線図は丸の内線が赤色、東西線が空色、日比谷線が灰色といったふうに、各線にそれぞれの色がついている。乗る駅と降りる駅を示し「色を辿って行って下さい」と路線図を渡すだけで、喜んでくれる。
また、中国人客もフロントでは英語で話そうとするのだが、イマイチもどかしそうだ。そんな時、中国語で話し掛けると、まさに大喜び、抱きついてきたりする。韓国人の場合も同様だ。あとでお礼に来る人もいる。

「傍若無人で騒がしいとか、中国人客のマナーは褒められたものではありませんが、日本人客に比べると、とにかく扱いやすいです」と、さっきの中国人女性は言う。そして「中国人社会のホテルなどでは何かを尋ねても、『知りません』の一言で済まされてしまうことも多いです。それに慣れているから、少しでも親切にすると、喜んでもらえるのではないでしょうか」とも分析する。

この日本語の達者な中国人女性――日本のサービス業について勉強したいと、長く務めた仕事から180度転身して来日し、このホテルで働くことになった。フロント勤めは本来の仕事ではないのだが、まずは現場を知らねばと、ここから仕事が始まった。おかげでコワイ日本人客に遭遇する羽目になったのだが、「こういう方たちのおかげで日本のサービス業のことがよく分かります。私はラッキーです」と、毎日、仕事に励んでいるとのことである。