警察の「人権」感覚

知り合いの中国人女性2人がツアーで香港への1泊2日のバス旅行に出掛けた。が、そのバスにはどうやら麻薬が隠してあったみたい。香港を目前にバスもろとも70人ほどの乗客、運転手らは警察に引き立てられた。以下は知人のひとりが話してくれた、その体験談である。

――朝まだ暗いうちに中国南方の町を出発したバスは、高速道路を順調に飛ばし、香港への入口にある大都市・深圳(しんせん)に向かって走っていた。時刻は8時前。そろそろ家族や仕事の関係先に断りの電話を入れようと彼女は考えた。実は昨夜、出張先で仕事も兼ねて友人と食事していた時、「明日、香港旅行に行くのよ。まだ空きがあるようだから、一緒にどう?」と誘われた。香港にはまだ行ったことがない。2〜3日、仕事をさぼっても、どうってことはない。二つ返事でOKした。ただ、急なことだったので家族などにはまだ知らせていなかった。

携帯電話を取り出そうとしたら、バスが荒々しく止まった。前の扉が開いた。大きな犬3匹と男が3人、飛び乗ってきた。男たちは首から警察官の身分証を下げている。犬が彼女のそばを嗅ぎまわった。警官のひとりが言った。「この車を捜査する。みんな、両腕を頭の後ろに回しなさい」。気が動転しながら、彼女は「麻薬の捜査だな」と思った。だが、警官はそんなことは全く言わない。不自由な姿勢を強いられたまま、車は3時間も走っただろうか。

とある建物の前で全員がバスから降ろされた。警察の「招待所」(宿泊施設)といった感じだった。その際、携帯電話から財布、時計、ネックレス、ハンドバッグなど身に付けていたものが取り上げられた。彼女の場合、眼鏡だけはそのままだった。「電話を1回だけ、家族に掛けさせてください。心配していますから」と警官に頼んだが、「駄目だ」と取り付く島もない。

男女別々に数人ずつに分けて「ここで待ちなさい」と部屋に入れられた。小さな窓があり、人数分の椅子もある。時計がないから、時間は分からない。話をしようとすると、見張りの警官から「静かに」と注意される。なぜ自分たちがこんな目に遭わされているのか、説明は依然として一切ない。誰かが「いつ出られますか」と聞いても、返事はない。

やがて弁当が出てきた。鶏肉のおかずに野菜が少々、三分の一ほど手をつけた。午後1時か2時ごろだろうか。ひとりずつ交代で別の部屋に呼ばれた。彼女の番が来た。姓名、生年月日、家族構成、仕事を聞かれた。「なぜ香港へ? なぜ緊張しているのですか?」とも聞かれた。彼女の姓名と生年月日をパソコンに打ち込むと、画面に写真つきの身分証が大きく出てきた。10分ほどで調べは終わり、また「待っていなさい」と部屋に戻された。やがて、夕食の弁当が出た。と言うことは、まだここを出られないんだ。そう思うと、ショックだった。

夜中、トイレに行った時、見張りの警官が「もう1時半だ」と言っているのが耳に入った。また先ほどの部屋に呼ばれた。さっき話したことが印刷してあって、サインさせられ、「では、戻って待っていなさい」。椅子の上で寝ようとすれば寝られないことはない。が、ほとんど眠れない。空が明るくなってきた。朝食の弁当が出た。そのうちに、また別の部屋に呼ばれた。今度は口の中に綿棒を突っ込んだりして検査された。口の中の皮膚も取られたようだ。何のための検査なのか、説明は一切なかった。

昼食が出て、夕食が出た。弁当が出るたびにストレスが溜まるようだった。頻繁に呼ばれている人もいたが、彼女はじっと待っているだけ。部屋のメンバーは増えたり減ったりし、彼女を旅行に誘った友人と一緒になったこともある。夕食後、またバスに乗せられた。小型のバスで仲間は10人ほど。何時間かは分からないが、とにかく延々と走った。どうやら、バスツアーの出発地に戻ったようだ。そして、ビルの3階の部屋に入れられた。ここも警察の招待所のようだ。部屋には椅子だけがたくさんある。昨日の朝以来、「着の身着のまま」である。かばんから着替えを持ってきてくれと言えば、持ってはくるようだが、その気にならない。顔を洗う気にもならない。やがて気が遠くなっていった。

気がついたら、担架の上に寝かされていた。そばにいた男の警官が「捜査ですから、我慢してください。何か食べたいものがあれば言いなさい」と声を掛けてきた。やさしい口調だった。砂糖水を飲んだりしているうちに眠ってしまった。

朝、またひとりずつ呼ばれ、前から後ろから写真を撮られた。やはり今日も出られないのかなあ。ずっと誰にも連絡できなくて、みんな心配しているだろう。いっそのこと隙を見つけて逃げてみようか。ぼんやりそんなことを考えていると、昼ごろだろうか、突然「釈放」を告げられた。担架の時にそばにいた警官が「済みませんでした。でも、仕方がありませんでした。ご協力ありがとうございました」と丁重に言った。ただし、人手が足りないので、荷物を返すのは夕方になると言う。

でも、とにかく外に出たい。泣きながら廊下を走り、門をくぐった。で、自由にはなったものの、手には携帯電話もないし、カネもない。どうしようか。ぼんやりしていると、釈放された仲間を迎えにきた人たちがいた。ツアーを主催した旅行会社に聞いたのだろうか。そのひとりから携帯電話を借り、気になっていた何人かにやっと連絡した。

――「捜査」以外には理由も何も告げないまま、2日以上も拘束する。寝させないわけではないが、寝られるのは椅子か床の上。家族との連絡も一切させない。この国の警察の「人権」感覚には、いささか問題がある、いや、あり過ぎる。メチャクチャである。

もっとも、食事だけは3食に加えて夜食までが出てきた。3食は牛肉、豚肉、鶏肉と、肉料理が豊富で、スープが付いている。彼女は「かなり高いレベルの弁当でした」と言う。たばこを吸いたい人には、注文すれば持ってくる。彼女の友人は釈放が夕方になったので、昼食も出てきたが、この時はジュースが付いたそうだ。「食事は済みましたか」が挨拶代わりのこの国である。案外、警察は「人権」には十二分に配慮していたつもりかも知れない。