日本の首相は「菅直人」さん? それとも「直人菅」さん?

塾の授業はすべて相棒の中国人の先生に押し付け、「夏休み」と称してしばらく帰国していた。折から日本は参議院議員選挙の真っ最中、新聞に1ページをまるまる使って「内閣総理大臣民主党代表」菅直人氏の主張が載っている(7月2日付、朝日新聞朝刊)。その中身はともかく、最後の署名を見てびっくりし、情けなくなった。彼の自筆だろう、写真のように、ローマ字で大きく、まず「Naoto Kan」とあり、その下に活字体の漢字で小さく「菅直人」と記している。この人、いったいどこの国の首相なのだろうか?

僕は決してやらないが、日本人が欧米人に自分の名前を伝える際、「姓」と「名」を逆にするのは、よくあることだ。欧米ではそれが普通だから、ということだろうが、欧米人は日本人に対して「私はオバマ・バラクです」なんてことは絶対に言わない。日本の新聞も「オバマ・バラク」なぞとは絶対に書かない。市井の人が欧米人に媚びて、あるいは、親切心から、姓名を逆にするのは大目に見てもいい。でも、日本の首相ともあろう人が、しかも、日本語で書かれた日本の新聞で、さらには、日本の有権者に向かって、私は「Naoto Kan」ですとは、いったい何を考えているのだろうか?

よく知られていることだろうが、中国人や韓国人にはこんな情けないことは起こらない。最近、韓国人の潘基文国連事務総長が来日し、菅直人首相とも会ったが、日本の英字紙、たとえば「The Japan Times」を見ると、潘さんは「Ban Ki Moon」と本来の名前通りの表記なのに、わが首相は「Naoto Kan」、つまり「直人菅」である。中国の温家宝首相は「Wen Jiabao」で、これも本来の名前通りで新聞その他に登場している。欧米の新聞・雑誌・テレビなどでもみな同じ、中国人、韓国人と違って日本人の名前だけが逆さまのはずである。

なぜ、こんなことになるのだろうか? 『日本人の英語』(岩波新書)でマーク・ピーターセンという米国人の近代日本文学研究家が書いている。彼によると、日本人の名前を逆さまにするのは、米国人が始めたことではなく、日本人が勝手にやりだしたこと。日本人がそうするのだから、米国人もこれが日本人の本当の名前だと思い込んでしまっているのだそうだ。

もちろん、彼は日本人の本当の名前を知っている。だから、日本人から「ソウセキ・ナツメ」と言われた時には、それが「夏目漱石」のことだとは、すぐには思いつかなかった。「Genji Hikaru」に至っては仰天してしまったようだ。この本は最近、岩波書店が宣伝に力を入れていてよく売れているようだが、初版は20年以上も前である。米国人にさえふた昔も前から変に思われているのに、日本人はいまだに「Naoto Kan」である。

中国人にもこういうことを知っている人は結構いる。で、知人のひとりは「日本人はアメリカに2回も原爆を落とされながら、アメリカ人を憎まない。それどころか、自分の名前まで逆さまにして、アメリカ人にペコペコしている。情けない民族だ」と言う。いささか的外れな所もある批判だが、「名前まで逆さまにしてペコペコ」には、反論もしにくい。

本からの引用が続くが、最近『ニホン英語は世界で通じる』(平凡社新書)というのが出ている。僕のような人間には勇気づけられる本だが、著者は末延岑生さんという大学の先生で、経歴のところのローマ字表記は「SUENOBU MINEO」と、逆さまにはなっていない。さすがと言うか、当たり前と言うか。

最近、社内の公用語を英語にする日本企業が目立ってきた。いや、日本企業ではなくグローバル化を目指しているからと言うのだが、異国で日本語を教えている身から言うと、いささか「カチン」とくる動きである。今や英語が以前にも増して大切なことは全く否定しない。でも、グローバル企業を目指すなら、英語を重視する一方で、ついでに日本語も世界に普及させたい、とはどうして思わないのだろうか。

まあ、それはそれとして、読売新聞(8月7日付、朝刊)によると、楽天とかいう会社は、社内の日本人同士でも仕事の際には英語を使わせる計画だという。じゃあ、ついでに名前も逆さまにして、日本人同士で呼び合ったりするのだろうか? 寅さんが健在なら、「それを言っちゃあ、おしまいよ」と言うかも知れない。

このところ、人気落ち目の菅直人首相だけど、世論調査では続投を支持する人たちが56パーセントもいるそうだ(8月10日付 朝日新聞朝刊)。僕もいま彼がやめる必要はないと思っている。でも「Naoto Kan」はすぐにやめてほしい。