外国人でも苦学ができる国「日本」

この夏、しばらく日本に戻った折、名古屋の私立大学に留学している学生をまず訪ねた。わが塾から去年秋、2人の女性をこの大学に送った。ともに20歳代半ば。うち1人は家庭が割合に豊かだが、もう1人は貧しい農民の子で、なんとか日本にたどり着き、入学金と当面の授業料を払うのがやっとだった。それでも両親は借金を重ねたことだろう。仕送りは期待できない。あとは必要なカネのすべてを自分で稼ぎ出さねばならない。やや古風に言えば苦学生で、手紙やメールでは「大丈夫」と言ってくるが、どうやっているのか、心配だった。

名古屋ではまず彼女の住居を見に行った。畳敷きの6畳一間、いわゆる1Kのアパートで、トイレ、風呂にテレビ、空調まで付いている。意外に小奇麗に暮らしている。家賃は35000円。冷蔵庫、洗濯機は中古品を買ってきた。パソコンと携帯電話は新品を買った。パソコンは大学の授業に必要だし、携帯電話がないとアルバイトもできない。苦学生には贅沢なようだが、ともに必需品だ。勉強兼食事用の座り机は縦横50センチ余り、なんとも狭いが、200円の中古品だから仕方がない。1カ月の生活費は家賃、光熱費、食費などを含めて70000円ほどだと言う。

着る物は買わない、いや、買えない。でも、まだまだ着られる服を積極的に回してくれる奇特な人物が現れた。僕が10年ほど前、ハルビンの大学で教えた女性で、日本に留学してからずっと名古屋で働いている。「今度、教え子が留学する」と伝えておいたら、何かと面倒を見てくれる。来日当初、アパートが見つかるまでは居候もさせてくれた。彼女からのお下がりのおかげで、時には「今日着ている物は上から下まで全部そうです。靴下だけは自分で買いました」といった状況。なんとか見られる格好で大学に通っているようだ。

バイトは来日以来、手当たり次第にやってきた。授業のない日には午前は早朝から弁当屋、午後はデパート、夜は日が変わるまで中華料理屋と、3カ所を掛け持ちしたこともある。弁当屋で働いた時は、残った弁当を食べさせてもらえるのはありがたかったが、食べ物の匂いが体に染み付いた。シャワーを浴びないと次のバイト先に行けなかった。今はショッピングセンターのペット売り場で週5日、深夜の掃除までを含めて働いているが、夏休み中にもっと稼いでおきたい。そうでないと、後期の授業料が払えなくなる。空いている日と早朝にもバイトをできないか、探している最中だ。

かくして、授業以外はバイトに明け暮れる毎日だが、「日本は中国で言われているのとは違って物価は高くないです。むしろ、安くて暮らしやすいです」と言う。日本に来た当初、バイトをしていなかった1カ月ほどは物価が高いと思ったが、バイトを始めて収入を得てみると、逆に、高くはないと感じるようになったのだそうだ。

そのわけは――例えば、南寧のわが塾の生徒の場合、単純化して言えば、アパートの家賃は1Kで500元(1元≒16円)ほど、これに食費などを含めて1カ月の生活費が最低1300元は掛かる。円で21000円ほどだ。名古屋で70000円掛かる生活費が南寧では21000円――後者は前者の3分の1以下で、ずっと楽なように思える。

だが、名古屋で時給900円ほどでバイトした場合、70000円を稼ぐには80時間弱、1日4時間だと月に20日ほど働けばいい。一方、南寧では(南寧に限らず中国では一般にそのようだが)飲食店などで1日に何時間だけ、時給いくらでバイトといったことができない。そういう雇用の形態がなく、月単位での雇用が普通だ。やはり、人口が多くて、結局は人手が余っているからだろうか。そして、1日に8〜10時間、週に1回程度の休みで1カ月をフルに働いても給料は1000元ほど。生活に必要な1300元は稼げない。つまり、名古屋で70000円稼ぐよりも、南寧で21000円稼ごうとする方がずっと大変だ。学生には不可能とさえ言える。勢い、学生に限らず1部屋にに2〜3人で住んでいる若者が少なくない。

別の言い方をすると、自分で働く時間帯を選べる日本では、外国人でも苦学ができるが、終日バイト先に拘束される中国では、中国人でさえも苦学できないことになる。さっきの貧乏な彼女も中国での大学時代、バイトはできず、もっぱら親からのギリギリの仕送りに頼っていた。

名古屋で会った彼女は、南寧にいた時よりいくぶん痩せた感じもしたが、表情は明るかった。「幸せです。働くところがあるし、働いたら給料がもらえます」。そう、中国では働いても給料をもらえなかったりするが、日本ではそんなことはまずない。おかげで彼女のように手ぶら同然でやってきても、なんとか大学に通えるし、まあまあの生活もできる。また、外国人であっても国民健康保険に入れる。中国にいた時とは違って、病気の際の心配も少ない。彼女の話を聞いて、日本もまだまだ捨てたものではないと思ったことであった。