大気汚染からの逃避行

「中国で1年の大半を過ごしています」「これから中国に戻ります」。日本に帰った折にそう言うと、「あちらは大気汚染が大変でしょう」「PM2.5には気をつけて下さい」と決まったように言われる。そんな折、僕はこう答えてきた。「僕のいる広西チワン族自治区は同じ中国でもその南の端、言わば辺境です。幸いなことに、大気汚染とは関係がありません」。

ところが、どうも様子が変わってきたようだ。朝方、近くの大学のグラウンドにいると、周りのビルが霞んで見える。朝霧かと思っていたが、一向に晴れる気配がない。それに、2年ちょっと前、桂林からこの南寧に移ってきた時には、空が青かったのに、最近はすっきりとした青空にはとんとお目に掛かれない。

昼間、近くの20階建てのビルに上がって、1キロほど先の高層ビル群を眺めてみた。見事なまでに霞んでいる。もはや立派なスモッグである。南寧は人口が300万かそこらの大都会だが、それほど工場があるわけではない。それなのに、このスモッグとは――車が品質の悪いガソリンを使っているせいだろうか。そう言えば、公共バスのくせに黒煙を吐きながら走っている奴もちょくちょくいる。地下鉄工事とかで町中を掘り返しているせいもあるだろう。

ふと、「巴馬(バーマ)に行ってみよう」と思い立った。巴馬は南寧から西方に250キロほどのところにある。100歳以上の人が多いというので「長寿の里」と宣伝している。人口27万ほど、中国の行政組織では「市」の下の「県」で、大気汚染とは無縁の土地だそうだ。北京、天津や上海、広州など汚染のひどい地方の人たちが最近、保養のためにやって来るという。

南寧からは毎日、巴馬への1泊2日のバスツアーが出ている。鉄道では途中までしか行けない不便な土地だ。ツアーに加わり5時間ほどで着いた巴馬は、桂林とよく似て「山水画」のような土地だった。カルスト地形の山が連なり、川が流れている。曇り日だったが、南寧のようなスモッグはさすがに見掛けない。カルスト地形には付きものの鍾乳洞にまず連れて行かれた。鍾乳洞はふたつに分かれていて、その間に広い空間がある。そこでひとりで体操をしている60歳前後の女性がいた。

彼女は天津に住んでいたが、定年退職した夫とふたりでこの2月、巴馬に旅行に来た。1泊のつもりだった。ところが、空気の良さに圧倒された。天津の空気とはまさに天と地の差がある。生き返った気持ちがした。その場ですぐ、北京に住んでいる娘に電話した。「私たちは当分天津には戻りません。あとをよろしく」。帰りの飛行機の切符その他をすべてキャンセルし、月900元(1元≒16円)で家具や洗濯機、冷蔵庫付きのアパートを借りた。以来3カ月、日本人からは突飛な行動のようにも思えるが、こんな身軽さは中国人のひとつの特徴でもある。

鍾乳洞やその近くでは、彼女のように観光客とは明らかに違う感じの年配の男女をたくさん見掛けた。散歩したり、ベンチで話し込んだり、カードに興じていたり・・・そんな中の60歳代の女性。大連の住人で昨年10月、体調の良くない夫を療養させるつもりで巴馬に来た。そう長くいるつもりはなかったが、夫がそのうちに「死んでも大連には帰らない」と言い出した。自分も空気のいい巴馬が気に入ったので、とうとう半年以上も居ついてしまった。アパートの隣人たちには「物書き」が多いようだと言う。

いろいろ聞いてみると、このようによそからやって来てアパートを借り、1カ月、2カ月、3カ月と住む人が巴馬には実にたくさんいる。あるいは、アパートを1年間、借りておき、代わり番にやって来る。巴馬の人口は27万ほどなのに、こういう人たちが延べ40万人ほどいるとのこと。まんざら誇大ではないようだ。地元ではこういう連中を「候鳥人」(渡り鳥人間)と呼んでいて、川のほとりにはその候鳥人向けのアパートがいっぱい立っている。建築中のものも多い。「療養基地」という看板を掲げていたりする。広さや家具付きかどうかで違うが、家賃は月300元から2000元だそうだ。

その住人たちが水を入れた大き目のペットボトルを提げて歩いているのもよく見掛けた。鍾乳洞その他から湧いてくる水がまた素晴らしいとかで、鍾乳洞に入る定期券を買って、日課のようにそれを採りに来る人も多いそうだ。巴馬は桂林によく似た地形だから、曇り勝ちの日が多いかも知れないが、空気に加えて水が人々を引き付けている。

こんな不便な土地に、住民をはるかに上回る人たちがどっと押し寄せるようになったのは、ここ5年かそこらの現象らしい。中国の大気汚染の深刻さを物語る逃避行なのであろう。「いっそのこと日本に移住したいのですが、費用はどのくらい掛かるでしょうか」。旅の途中、巴馬を下見に来たと言う50歳代の女性に会い、そんな質問を受けて思った。日本の突き抜けるような青空を彼女たちに見せてあげたい。僕も久しぶりに見たい。