目立つ電柱・電線、目立たない電柱・電線

日本に留学中のわが塾の生徒から手紙が届いた。20歳代半ばの女性で、おおむね、日本での生活の快適さを称えてくれている。まことにご同慶の至りなのだが、ひとつだけ日本批判があった。いわく「日本の街ではどうしてこんなに電柱と電線が目立つのでしょうか。空を見上げれば、必ず電線が目に飛び込んできます。クモの巣みたいで嫌になります。日本は科学技術の進んだ豊かな国なのですから、簡単に地中化できるはずです。なぜこんな醜悪な光景を野放しにしておくのでしょうか?」といった内容だった。

実は僕も日本に戻るたびに、彼女の言う「醜悪な光景」にはうんざりしている。上の写真は、この前帰国した折、大阪の心斎橋と御堂筋の間で撮ったものである。心斎橋、御堂筋と言えば、大阪の「顔」である。そこにこの電柱、電線・・・電柱にくっついている不細工な箱は変圧器であろう。人の美意識はいろいろだが、これを「美しい」と感じる人はまずいないはずだ。とりわけ欧米に旅行して日本に戻ってくると、うんざりするといった話をよく耳にする。日本に旅行に来て驚く欧米人も多いそうだ。電柱、電線は美観だけではなく、防災、安全などの点からも問題があるのに、日本では地中化にそれほど熱が入っているようには思えない。

さっきの彼女への返事には「それは残念ながら日本の恥部です」と書いておいたが、彼女の手紙に「?」と感じたところがあった。「日本と違って南寧では地中化が進み、電柱・電線はそれほど見当たりません」ともあったからだ。いや、わが南寧だって電柱・電線はいっぱいあるはずだ。そんなに地中化が進んでいるはずもない。高層ビルの間を走っている送電線(高圧線)だってある。急激な都市化に移設が追いつかなかったのだろう。

ただ、彼女の手紙がきっかけになって、以後、気をつけて南寧の街中の電柱・電線を眺めるようになった。すると、彼女の言う「電柱・電線はそれほど見当たりません」にも「なるほど、そうだったのか」と合点がいくようになった。つまり、南寧の街中にも電柱・電線はいっぱいだが、それがあまり目立たない、うるさくないのである。さっきの大阪の写真のような奴には全く出くわさない。僕なりに整理すると、その理由は4つである。

上の写真はわが住まいから遠くないアパート街で撮ったものだが、大阪の心斎橋、御堂筋にある電柱・電線の圧倒的な「量感」と比べると、どこかおっとりとしている。素朴である。南寧にはこんなようなのが多く、「醜悪」といった感じからは程遠い。うっかりしていると、その存在を見過ごしてしまうかも知れない。それに、故滝田ゆうさんのマンガによく出てきた「昭和」の前半頃の電柱、電線にも似ていて、懐かしくさえある。

ところで、南寧に限らず中国の夜の街は一般に薄暗い。アパート・マンションの窓から漏れる灯火もそれほど明るくはない。素人の推測だが、その結果1戸当たり、1人当たりの電力使用料が少ないので、こんな素朴な電柱、電線でも用が足りる。そして、これが醜悪さから街を救ってくれているのではないか。逆に、大阪の心斎橋、御堂筋ではあれだけの「重装備」をしないと需要を賄えないのだろう。以上が第1の理由だ。

すっかり電柱・電線マニア?になって、さらに南寧の街中をうろうろしているうちに、上の写真のように、電線を壁に這わせたオフィスビルやアパート・マンションをたくさん見つけた。安全上、どうなのかは知らないが、こんなふうにすると、電柱は要らないし、電線も目立たない。少し離れたビルとビルの間は電柱で結び、ビルに到達すると電線を壁に這わせたりしている。これが第2の理由だ。

あと2つの理由は「道の広さ」と「並木の多さ」である。しかも、幅の広い道に背の高い並木が何重にもなって並んでいたりする。少々不細工な電柱、電線が空中にあっても、並木に隠れてしまい、そうは目に飛び込んでこない。壁に這わせた電線だって、並木の陰にあって見つけるのに苦労するぐらいだ。

日本の電柱、電線の醜悪さを中国人から指摘されたことは1度や2度ではない。「アジアの光景」とも言われるように、日本も中国も電柱、電線自体はいっぱいである。同類である。それなのに、中国人から「醜悪」と言われてはいささか悔しい。

ところで、中国で南寧以外の都市はどうなのか。3年前までいた桂林でも、その前にいたハルビンでも、電柱、電線はあまり目立っていなかった。不快に思ったことはなかった。先般、上海を通過した時も注意していたが、そんなに醜い奴には出会わなかった。日本のものに比べると、むしろ可愛いぐらいだった。中国人から悪口を言われても、当分は素直に降参しておくしかないようである。