惨めな歩道

この2,3カ月、ほぼ毎日2時間ばかり、わが南寧の街中を散歩している。散歩を日課にするようになってあらためて痛感したのは、この街の「歩道」のひどさ、哀れさである。歩道のあちこちで、敷かれたタイルや煉瓦がひび割れし、上や下そして左右に波打ちし、あるいは、定位置から剥がれてそこら辺に散乱している。まともに歩けたものではない。車道の方はどこもまあまあ立派なだけに、歩道の惨めさがいっそう目立つ。前回は「目立たない電柱・電線」ということで南寧の「空中」を褒めたが、今回は「足元」への苦情である。まずは3枚ばかり写真をご覧いただきたい。



南寧の歩道のすべてがこうだと言うわけではないが、至る所、歩道にはどこか欠陥が見つかる。例えば、「民族大道」という片側3車線、4車線の道がある。片側2車線の側道も付いている。名前からしてもこの町のメーンストリートである。ところが、歩道はところどころ傷んでいる。タイルが割れたり、剥がれたりしている。

なんで、歩道はこんなに惨めなのか。ひとつには、そもそも工事がいい加減なせいであろう。歩道工事にたまたま出くわして見たのだが、砂利や砂を敷くといった基礎工事はやらず、土を盛ってその上にタイルや煉瓦を置き、木槌でとんとんと叩いているだけであった。やっているのは、ひと目で「農民工」と分かる人たち、出稼ぎの農民である。

もうひとつは、タイルや煉瓦が安物であることだろう。すぐにひびが入り、割れてしまう。中国人の知人によると、工事費の予算のうち実際に工事に使われるのは3分の1程度、残りは誰かの懐に入ってしまうそうだ。それが本当なら、安物を使わざるを得なくなる。

加えて、歩道をスクーターやバイクがわが物顔に疾走している。タイルや煉瓦がその重さに耐え切れないのかも知れない。こちらは日本とは比べ物にならないくらい歩道が広い。その点はさすがなのだが、逆にスクーター、バイクの横暴を許すことにもつながっている。歩道がよく乗用車などの駐車場代わりにも使われている。これも重いことだろう。

ところで、2番目と3番目の写真だけど、タイルや煉瓦が単に壊れていると言うより、結構なくなってしまっている。ちょっと不思議だ。で、わが塾生に聞いてみると、自宅に庭のある人がそこで使うために剥がしていったのではないかとのこと。工事がいい加減だから、剥がすのも簡単なようだ。「役人たちが工事費を懐に入れてしまうのですから、まあそれくらいは許されるのではないでしょうか」と、塾生は付け加えた。

歩道のひどさ、哀れさに憤っているのは僕だけではないようだ。地元紙を見ていると、読者投稿という形でさっきの2番目、3番目のような写真が載り、「当局は何とかしてほしい」と書いてあったりする。当局も全く無関心というわけではないみたいで、しばらくすると「修復されました」と「事前」「事後」の写真つきの記事が載ることもある。ただし、1番目の写真の程度では、まだ修復の対象にはならないようだ。

目の不自由な人たちのための「盲道」ももちろん設けられている。だいたいどの歩道にもあり、感心するくらい盲道が「完備」している。が、上の写真のような盲道も至る所にある。これではとても安心して歩けない。そのせいもあるのだろう、僕は南寧にもう3年近く住んでいるが、盲道を頼りに歩いている人をまだ見掛けたことがない。

タイルや煉瓦が完璧であっても、上の写真のような場所もある。なんとも歩きづらい。南寧の歩道には下水などのマンホールのほか、地下に何が埋まっているのか、このような奴がやたらに多い。うっかりしてコンクリートの蓋に乗ると、グラリとすることもある。マンホールも危ない。割合に最近のことだが、マンホールの蓋がなぜかなくなっていて、女性が落ちて行方不明になったこともある。

最後の写真も惨めな歩道のひとつなのだが、少し説明が必要である。写真の向かって左奥に交通警察のたまり場のような所がある。そのたまり場の前の歩道は警察が占拠している。向こうに彼らの白バイが5台、6台と止まっている。おかげで、歩行者は歩道を通れない。警察の前まで歩道を歩いてきても、しばらく車道に下りなければならない。警察は「車道の横断はやめましょう」なぞと盛んにPRする一方で、この始末である。歩道とともに歩行者も軽く見られている。

「日本じゃ、暴力団の事務所だって、ここまであこぎなことはしないだろうな」。僕はいつも心の中でいささか過激に毒づき、写真付きで新聞に投稿したらどうなるだろうかなんて想像しながら、このあたりを行き来している。