「電線絵画」はお好き?

新聞を眺めていたら、東京の練馬区立美術館で「電線絵画展 小林清親から山口晃まで」なるものが開催中(4月18日まで)という記事が目についた。明治以来現代まで、電線や電柱を描いた絵画を集めたのだそうだ。小林清親は明治の頃の浮世絵師、山口晃は現代の画家、浮世絵師。展覧会に対する新聞の評は好意的である。

えっ、また、なんで、そんな展覧会をやるの!? 僕はかねがね、我々の頭上を覆う電線、電柱やあのグロテスクな変圧器が大嫌いである。震災などの際に、安全上の問題があるだけではなく、何よりも景観を壊している。機会があるたびに、電線や電柱の地中化・無電柱化を訴えてきた。あんなものを絵に描こうなんて、その神経が信じられない。僕の神経が逆なでされたような気分である。
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まあ、いずれにせよ、「電線絵画展」なるものを見てやろう。コロナ禍のもとではあるけれど、思い切って、練馬区立美術館に出かけた。展覧会のチラシには小林清親の「従箱根山中冨嶽眺望」という錦絵が使われ、富士山を背景に電柱と電線(正確には、電報などを送るための電信柱と電信線)が描かれている(上の写真)。明治13(1880)年の作品で、チラシには「富士には 電信柱も よく似合ふ」というキャッチコピーがついている。さらには、漢字の「電」と「線」の間、「絵」と「画」の間には、電線らしきものが何本もわざわざ描いてある。ますます僕の神経をいらだたせる。

美術館に入った。平日の午後だった。観覧料は一般1000円。後期高齢者の僕は無料だったけど、「高い観覧料を払ってまで、電線絵画を見に来る人なんて、そうはいないだろう」という僕の予想は、見事に裏切られてしまった。展示の絵画などは150点くらいだっただろうか。その一つ一つの前には、老若男女の1人やそこらは、立ち止まって見入っている。まさに「盛況」である。
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僕にはいささか不愉快だったけど、勉強になることも少なくなかった。まずは、電信柱や電信線が入ってきたのは幕末で、それはさっきの錦絵に描かれているが、東京で電気の供給が始まったのは明治20(1887)年だったとのこと。つまり、電柱や電線が生まれた。そして、そのころに誕生した洋画家の岸田劉生は電柱や電線を描くのが好きだったらしい。チラシにあったその一つが上の絵で、「代々木附近(代々木附近の赤土風景)」と題した大正4(1915)年の作品。真ん中には電柱がデンと構えている。岸田劉生と言えば、僕は不勉強で、愛娘を描いた一連の「麗子像」しか知らなかった。
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岸田劉生の作品と同じ頃のものとしては、川瀬巴水の「東京十二題 木場の夕暮」という木版画(上の写真)もあった。電柱、電線が大嫌いでも、まあ、いくらかはほのぼのとした感じもある。
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それに比べ、時代は下り、昭和25(1950)年頃のものという朝井閑右衛門の「電線風景」(上の写真)はまあ、すさまじい。油彩の厚塗りという画法のせいもあろうが、僕にはもう耐えられない。
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そして、現代の山口晃は電柱、電線を愛し、それらを題材にいろんな絵を描いている。上の写真がその一つで、まあ、これは、実際の電柱、電線ではないから、面白いことは面白いのだけど……。

今まで「電線絵画展」なるものを開こうなんて、突飛なことを考えた人はまずいなかっただろう。その点、練馬区立美術館には敬意を表したい。そして、同美術館が電柱や電線の地中化を否定しているわけでもない。展覧会のチラシの開催趣旨にはまず「街に縦横無尽に走る電線は美的景観を損ねるものと忌み嫌われ、誰しもが地中化されスッキリと見通しのよい青空広がる街並みに憧れを抱くことは否めません」と書かれている。

「しかし」と、この文は続く。「そうした雑然感は私たちにとっては幼いころから慣れ親しんだ故郷や都市の飾らない、そのままの風景であり、ノスタルジーと共に刻み込まれている景観でありましょう。……電線、電柱を通して、近代都市・東京を新たな視点で見つめなおします」

翻って、ロンドンやパリでは電柱、電線の地中化率は100%、ニューヨークも中心部のマンハッタンは100%だそうだ。「電柱、電線はアジアの風物」とも言われたりするが、香港は100%、シンガポール台北もそれに近いとのこと。僕は中国で結構長い間、日本語を教えていたけど、街に電柱や電線があるなんて、あまり感じなかった。それらに比べ日本では、地中化が最も進んでいる東京都23区ですら、その率は10%に満たない。

中国から日本に留学してきた教え子の女性から「日本は先進国で、技術もおカネもあるでしょうから、電柱と電線をなんとかしてもらえないでしょうか。醜悪で、もう我慢できません」と訴えられたこともある。彼女がいつか故郷で、日本の電柱、電線に「ノスタルジー」を感じてくれることなんて、あるのだろうか。