警官も軍人も「上納金」で大変

わが塾が以前に借りていた部屋は公安局、つまり警察の敷地内にあり、家主も警察官だった。その中年の男がある日、突然訪ねてきた。90平方メートルほどのこの部屋を30万元(1元≒13円)ですぐに買ってくれないかと言う。僕のことを多分「金持ちの日本人」と思ったのだろう。日本円で400万円ほどだ。恥ずかしながら、そんなカネはない。でも、「ない」と言うのも癪だから「カネはあるが、残念ながらこの部屋は僕の将来の構想に合わない」と言って断った。

で、彼が急に大金が必要になった理由だが――いま彼は警察の副処長(日本式に言えば、副部長といったところ)だが、突然、処長になるチャンスが出てきた。ただし、競争相手が結構いる。彼を応援してくれる上司にカネを渡して運動してもらわなければならない。その手付金10万元、成功報酬20万元の計30万元が必要になった。この程度の現金はあったのだが、最近、車を買ったために手元不如意になったとのこと。30万元が駄目なら、家賃を1年分、前払いしてくれないか、と彼は必死である。手付金の10万元は今日、明日にも必要なのだと言う。

ちなみに、このマンションだかアパートだかは、公安局が建てて関係者に安く売った物件だそうで、彼も13万元で手に入れた。新築して間もない奴で、これをすぐ30万元で転売しようなんて、虫のいい話ではある。もちろん、これは不正でもなんでもないみたい。彼も自慢げに話してくれた。俺にはこんな役得があるんだ、どうだ、偉いだろう、といった感じである。

彼が引き揚げてしばらくして、彼の妻の両親から電話が掛かってきた。ふたりとも中学校の教師だ。普段はこの義理の両親が娘婿に代わって家主業を務めている。やはり「家賃だけでもまとめて払ってくれないか」との話だった。かりにも中学校の教師なのだから、警察官の娘婿に対して「そうまでして偉くなってほしくはない。清く正しく生きてくれ」とでも言ってほしかった。でも、一緒になって「猟官」のための資金集めに奔走している。その結果がどうなったかは聞いていない。

ハルビンにいたころ、日本語を習い始めた若い警察官がいた。日本に留学でもして新しい人生を切り開きたい・・・と言うのだが、実は、上司たちとの付き合いに気を遣う今の生活がつくづく嫌になったのだそうだ。彼によると、春節旧正月)を始めとした祝日ごとの、そして、結婚、出産、誕生日など祝い事のたびの、上司たちに渡す金品が毎月の月給だけではとても足りない。でも、それをやらないと、自分の首が危うくなる。同僚たちもみんなやっているから、なおさらだ。

では、どうやって生活していくか。管轄の人民をいじめてカネを巻き上げるしかない。このあたりについては、彼もはっきりとは言わなかったが、想像はできる。やはり、ハルビンにいた時、日本風に言えば交番のお巡りさんが深夜、何者かに殺されたが、周りの人たちは同情するどころか快哉を叫んだ。そういう話を聞いたことがある。ふだんのいじめが随分とひどかったのかも知れない。

わが塾に以前いた女性の夫が人民解放軍の軍人だった。まだ20歳代の下級将校だったが、妻は「新年(春節)の挨拶で上司のところへ行った際、1万元を包んで渡しました。私たちだけでは用意できないから、夫の両親に借りて・・・また借金が増えました。でも、1万元は少ない方なんです」と嘆いていた。1万元と言えば、彼らの場合、年収の半分くらいになるのではないだろうか。本人だけではなく、下級将校を息子に持つと両親も苦労するというものだ。

上に書いた3つの、言わば「上納金」の話のうち、最初の奴はもう立派な「贈賄」だろう。だが、あとの2つはそこまで言ってはかわいそうな気もする。ただし、将来は自分も部下からカネをもらいたい、そういう立場になるのを期待してのことだ。同情する必要は全くないが、こんなのを中国語では「人情来往」と言うのだそうだ。人情が行ったり来たり――うまい表現ではある。まあ「文化」の一つと言えなくもない。ただ、ちょっと目に余るといったところだろうか。

そう言えば、わが塾は朝8時になると、生徒たちが自習のために続々とやってくるが、「先生、どうぞ」と、まだ温かいゆで卵2個とか、トウモロコシ1本とかを提げてくることがよくある。自分たちの朝食の時に僕の分まで用意してくれたのだろう。梨とかバナナとか、果物のこともある。「子供の日」(6月1日)にはお菓子をくれたのが3人もいた。「端午節」(6月16日)にはチマキがいくつも届いた。警察や軍隊のエライ人たちには遠く及ばないが、これも「人情来往」のひとつであろうか。ありがたく頂戴している。